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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

戦後補償裁判(39)――チチハル遺棄毒ガス事件提訴

T.O.記

2003年8月4日、中国チチハル市の団地の地下駐車場建設現場から、5つのドラム缶が掘り出されました。このドラム缶は、日中戦争の際に、旧日本軍が中国へ持ち込み、敗戦後に遺棄した毒ガスがはいったものでした。また、周辺の土は、ドラム缶からもれた毒ガスによって汚染されていました。しかし、そんなことを知らない作業員らは、ドラム缶の中身に触れ、また子どもたちが汚染された土の上で遊びました。それにより、子どもを含む44名が毒ガスによる被害を受け、うち一人が死亡しました。これがチチハル遺棄毒ガス事件です。

日本政府は、チチハルで事故を起こした毒ガス弾が旧日本軍のものであることを認め、「遺棄化学兵器処理事業に係る費用」として3億円を中国政府に支払い、中国政府は、3億円のうち約9割を被害者らに交付しました。しかし、毒ガスの被害は、現在の医療技術では完治させられず、被害者は一生に渡って治療を行わねばなりません。また就労能力も失ったため、生活費も必要となり、一時的に支払われた3億円では足りません。そのため、被害者らは、日本政府に対して今後の医療保障・生活保障などを求めて交渉を続けてきました。しかし日本政府は、事故の責任を認めず、また医療保障・生活保障の要求にも応えようとしませんでした。そこで、2007年1月25日、被害者らが、日本政府の責任を追及し被害者救済の政策を採ることを求めて、東京地裁に提訴しました。

毒ガス事故については、すでに2件の訴訟が提起され、東京地裁でそれぞれ敗訴判決(2003年5月15日)と勝訴判決(2003年9月29日)がそれぞれ出されています。本件はそれに続く3件目の訴訟となります。しかし本件は、先行する2つの訴訟と異なる点があります。

まず、先行訴訟では、事故を起こした毒ガス弾が旧日本軍のものであったかどうかがひとつの争点となっていましたが、チチハル事件については、日本政府が、事故を起こした毒ガスが旧日本軍のものであったことを認めています。

さらに、日本は、1995年に化学兵器禁止条約を批准し(1997年発効)ました。これにより、日本政府は、条約発効から10年以内に他国に廃棄した化学兵器を回収・処理する義務を負いました。また、同条約に基づき、1999年に中国政府との間で「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」を交わし、旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器(毒ガス弾)の廃棄することを確認しています。チチハル事件は、この後に起きたものです。その意味では、日本政府の責任はより重いものとも考えられます(なお、2004年にも吉林省敦化市で事故が起き、小学生2名が被害にあっています)。

日本政府の国家賠償法上の責任、つまり、毒ガス兵器の危険性・事故の可能性を認識し、それを回避できたにもかかわらず、それをしなかったことの違法性について、以下、簡単に説明します。

毒ガス兵器が非人道的な兵器であることは、当時すでに確立した認識であり、だからこそジュネーブ条約等で禁止されていたわけです。それにもかかわらず、旧日本軍は、こうした毒ガス兵器を製造・使用し、敗戦後はその事実が明るみに出ないよう、中国に遺棄したわけです。

そうした事実を日本政府は認識していましたし、チチハル市に毒ガス兵器が遺棄されている可能性が高いことについては、中国政府が1992年にジュネーブで開かれた軍縮会議で報告しており、それを踏まえて化学兵器禁止条約を批准したわけですから、日本政府としても事故の可能性を予見できたと考えられます。

だとすれば、日本政府は、こうした事故を回避するために、何らかの手段を講ずるべきでした。具体的には、帰国した兵士から、毒ガスを遺棄した場所などの情報を求め、そうした情報をもとに、遺棄された場所を調べて回収する、見つからなければ、中国政府に情報を提供して協力をあおぐとか、あるいは周辺住民に注意を呼びかけるなどのことができたはずです。しかし、日本政府は、国際法違反の行為を隠匿するために関係書類等を焼却処分し、また兵士からの聞き取り調査もしませんでした。とりわけ、1999年に中国政府と覚書を交わして以降は、上記の義務がより強まったと考えられます。にもかかわらず、そうした義務を果たさなかった日本政府の責任は、重大だといえるでしょう。

毒ガスの被害の重大性については、過去にも報告してきましたが、改めてここでも述べておきたいと思います。この事故の被害者の主な被害は次のようなものです。

まず、事故直後の症状として、眼の赤み、皮膚のはれや痒み、吐き気、喉の乾き、眼に砂の入った様な痛み、充血、流涙、水疱、頭痛、水疱の増殖・拡大、下痢、咳、痰、呼吸困難、皮膚の壊死、陰嚢の腫れ、急激な下痢症状などがありました。被害者らは約3ヶ月の入院をしていますが、その間、こうした症状が継続し、特に水疱をつぶして膿を出して患部に薬を塗る、水疱のびらん箇所を引きちぎって薬を塗るという治療の繰り返しは、極めて苦痛の伴うものでした。加えて、被害者の一人・李貴珍さんが死亡したこともあって、死の恐怖とも闘わねばなりませんでした。

さらに、事故から3年半が経過していますが、被害者らは、皮膚障害(皮膚のびらん、びらん箇所の痒み、水泡ができる)、性的不能、眼の障害(視力低下、風や光に当たると痛む、光がまぶしい、涙が出る、充血)、呼吸器障害(咳やたんが出る、咳のため寝られない、動悸・息切れ)、体力の低下、免疫機能の低下、精神障害(記憶力や集中力の低下、脱力感・無力感)などを訴えています。こうした症状は、一生続き、さらに進行すると考えられています。加えて、再就職できない、あるいは学業に専念できないなどの被害、さらには周囲の人の無理解による差別・偏見にも苦しんでいます。

こうしたことから、財産的被害として、莫大な医療費、仕事ができないため収入がないこと、精神的被害として病気の苦痛や死に対する恐怖、差別による苦痛など、さまざまな被害を受けています。被害の重さに耐えかねて、自殺を図った人もいるそうです。

このような被害をもたらしたのは、すでに述べたとおり、日本政府の不作為に原因があるといえるでしょう。

この訴訟提起にあわせて来日した原告の丁樹文さんは、提訴について、「話し合いで解決したかったのに、それがかなわず訴訟となってしまって悲しい」とコメントしています。訴訟は、当事者にとって、身体的・精神的・金銭的負担が大きく、毒ガスの被害で苦しむ原告たちが訴訟を望まなかっただろうことは想像に難くありません。政府は、訴訟にではなく、被害者らの救済に早急に取り組むべきだと思います。

参考ホームページ:化学兵器被害の解決を目指す共同行動ブログ

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