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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

戦後補償裁判(43)―― チチハル遺棄毒ガス事件2

T.O.記

入廷行進
2007年6月6日、チチハル遺棄毒ガス事件の第一回口頭弁論が、東京地裁において開かれました。意見陳述を行うために、2名の原告が来日していました。

まず、佐藤香代弁護士が、事件の概要や毒ガス被害の悲惨さについて述べました(事件の概要や被害実態については、戦後補償裁判(39)で書きましたので、ここでは省略します)。

続いて、原告の陳栄喜さんが意見陳述を行いました。陳さんは意見陳述の最初に、「私は33歳の時、当時9歳の娘とともに被害を受け、健康な体、幸せな家庭、誇りを持っていた仕事、それら全てを失った」と述べました。

陳さんは、チチハルで生まれ育ち、1992年に父の友人の紹介で結婚しました。妻はまもなく妊娠し、仕事も順調で、ただただ幸せだったといいます。娘が生まれてからは、帰宅が楽しみになったそうです。娘は両親の愛情を一身に受けて育ち、運動が得意で、いつも外で遊ぶ活発な子だったそうです。

陳さんは、2003年8月4日、同僚やその息子さんの王磊くんとともに、仕事で土の運搬作業を行いました。その日はとても暑い日で、2時間ほどの作業で汗だくになりました。娘さんはその土の上を裸足で駆け回っていました。作業中、カラシのような匂いがしていたそうですが、あまり気にせず作業をしました。

作業から2〜3時間後、目に痛みを感じ、吐き気も覚えました。父親の誕生日パーティに参加していたのですが、具合が悪くて、途中で退席したそうです。体調は時間とともにどんどん悪化し、手足に水泡ができました。娘さんにも同じ症状が現れました。妻に連れられ、病院へ行きました。

病院では、同じような症状で苦しんでいる患者が何人もいました。目の痛みは治まらず、手足の水泡も大きくなっていきました。そして水泡がひび割れ、そこからウミが出てきたそうです。病院の治療は、麻酔なしで皮膚を破って、そこに薬を塗るというものでした。陳さんはあまりの激痛に、大声で叫んだといいます。病院では、他の毒ガス被害者に同じ治療がなされ、あちこちの部屋で大きな叫び声が聞こえ、まるで地獄のようだったと陳さんは述べました。9歳の娘さんも同じ治療を受けているかと思うと、陳さんは胸が締め付けられる思いだったそうです。


弁護士開館での報告集会

3ヶ月の治療を終え、ようやく退院しました。しかし、健康状態は一変し、全身に倦怠感・疲労感があって、階段を上ると息切れし、また風邪もひきやすくなったそうです。そうしたこともあって、仕事が続けられなくなりました。他の仕事も探しましたが、学歴のない陳さんには、肉体労働しか見つけられず、体力もなくなっていた陳さんにはとてもできないものでした。そのため、今は収入もありません。

せめて娘さんだけでも治療したいと思い、陳さんは娘さんを北京の病院にも連れて行きました。しかし、毒ガスの被害は治せないといわれたそうです。

さらに、この事故の後、性交渉もできず、妻に対して冷たく当たることも増え、夫婦間でのけんかが絶えなかったそうです。そのため、夫婦関係が悪化し、ついに昨年の夏に離婚してしまいました。妻は、「私は希望も楽しみもなくなった。あなたの巻き添えを受けた」と言って出て行ったそうです。娘さんには、離婚のことをすぐに話すことが出来なかったのですが、ふとしたきっかけでばれてしまいました。娘さんは「どうして?もう元には戻れないの?」と聞いてきたそうですが、陳さんはそれに答えることができませんでした。

陳さんは最後に、「戦後58年も経って、このような被害を受けた。何故このような被害を受けなければならなかったのか。裁判官の皆様に、私の苦しみをご理解下さい。そして正義を実現してください」と述べ、意見陳述を終えました。

続いて、王磊くんが意見陳述を行いました。王磊くんは中学2年生の夏休みに事故に遭いました。当時、サッカーが大好きで、毎日プレーしていたそうです。ポジションはフォワードで、将来の夢はプロサッカー選手でした。

2003年8月4日、王磊くんは、父親が運んできた土が通行のじゃまになっていたので、土を固めて、板を渡し、人が通行できるようにしました。その土が毒ガスに汚染されていたため、被害に遭いました。

病院では、水泡を針でつぶし、消毒をするという治療が行われました。両足の甲にできた水ぶくれをはがし、腿の皮膚を移植するという手術も行ったそうです。あまりの痛みに泣いたと言います。

3ヵ月後に退院しましたが、その後もしばらく自宅で静養していました。2004年3月に復学しましたが、勉強が遅れてしまい、ついていけなかったそうです。そのため、両親が家庭教師をつけてくれました。しかし、事故の影響で体力や集中力が低下し、上位だった成績はどんどん下がっていきました。

学校で何より辛かったのは、友だちが、毒ガス感染を恐れて、王磊くんを避けることでした。隣の席の生徒の親から、「席を離してくれ」とクレームがついたり、教師からクラスを変わるように説得されたりしたといいます。そしてついに、王磊くんは退学をすることになりました。

現在は、母の実家に暮らしています。周りは、王磊くんが毒ガス事故の被害者だと知らない人ばかりです。友人もなくし、好きなサッカーもできず、学校にも行かず、毎日ゲームをしたり近所を散歩したりして過ごしているそうで、楽しいことは何もないといいます。

王磊くんは最後に、「毒ガスがぼくの夢を壊しました。友人も健康も失いました。日本政府には謝罪してほしいと思います。そして、こうした事故が二度と起きないように、毒ガスを早く処理してほしいです」と訴えて、意見陳述を終えました。

最後に、小野寺利孝弁護士が、この訴訟の意義と裁判所の役割について意見陳述を行いました。

小野寺弁護士は、日本政府が、化学兵器禁止条約や、条約に基づく日中間の覚書などにより、毒ガス兵器の処理や、情報提供の義務を負っていること、それにもかかわらず、中国政府からは、“日本政府はいまだに毒ガス兵器についての情報を中国に提供していない”と指摘されている事実を述べました。そして、日本政府のこうした不誠実な態度が、本件のような事故をもたらしたと指摘しました。

日本政府は、本件事故のあと、中国政府に対し、「遺棄化学兵器処理事業に係る費用」として3億円を支払い、中国政府はそのうち9割を被害者に支払ったそうです。しかし、日本政府は、いまだに被害者に対して、謝罪をしていません。事故後に現地調査に行ったときも、被害者を見舞うことさえしなかったそうです。小野寺弁護士は、こうした事実を指摘して、日本政府は誠実に対応したといっているが、何を以ってそう言っているのか理解に苦しむ、と強く批判しました。

そして小野寺弁護士は、被害者に対する謝罪と賠償、毒ガス被害に対する治療研究を含めた医療支援、事故によって仕事ができず収入がなくなったことに対する生活支援を求めることを明らかにしました。最後に、裁判所に対して、「司法の正義」を求め、意見陳述を終えました。

口頭弁論の終了後、弁護士会館で報告集会が行われました。

弁護士から、被害者の要求や、訴訟における国側の主張についての解説の後、昨年の3月にハルピンで毒ガス被害者を診察した藤井医師が、診察結果について、簡単に報告しました。藤井医師の話によると、毒ガスの被害については資料が少ないためまだわかっていない点が多いそうですが、診察したところ、倦怠感や集中力の低下といった精神症状、免疫力の低下、脳の血流の悪さ、糖尿病予備軍と言える症状などが見られたといいます。また発ガンの可能性もあるので、ガンの早期発見の体制、および恒久的な医療扶助の必要性を指摘しました。その後、記者会見を終えて、報告集会の場に戻ってきた陳さんと王磊くんが、法廷で意見陳述した感想などを語ってくれました。


証言集会

午後6時半からは、飯田橋のしごとセンターにおいて、被害者証言集会が開かれました。

はじめに、弁護団から、パワーポイントを使用して、訴状についての概要の説明がありました。続いて、支援者たちによる、被害者証言の群読劇が行われ、被害者の声が参加者に届けられました。

続いて、来日した被害者である陳さんと王磊くんから、被害の実態などについての証言がなされました。

陳さんは、法廷の感想を聞かれ、「裁判官のイメージが違った。被害者としてあたたかい目で見てくれるのかと思ったが、裁判官はクールで、重苦しい雰囲気だった。しかし、それで気合が入った」と述べました。

王磊くんは、学校での勉強についていけず、家庭教師をつけても追いつけなかったことについて、非常に悔しい思いをしたと述べました。また、中学校退学後は、何もすることなく、精神的に落ち込む日が多いと証言してくれました。法廷は初めての体験で、緊張したけれど、裁判官や弁護士、支援者の姿を見て、公平な回答がもらえるのではないかと思ったと、裁判への期待を口にしていました。

休憩をはさんで、会場から被害者たちへ寄せられたメッセージが読み上げられました。父親が満州鉄道の職員で、終戦をチチハルで迎えており、他人事とは思えないというメッセージや、中学校退学という事実にショックを受けた、といったメッセージが紹介されました。こうしたメッセージに対して、王磊くんは「励ましの言葉に感激しました」と述べました。

続いて、3月末から4月にかけて、チチハルで被害者を調査した弁護士と支援者から、ツアーの報告がなされました。被害者の聞き取りの様子や、被害現場の紹介などに加え、被害者の方と一緒に食事をしたり、カラオケを楽しんだりする姿も写真で紹介されました。

最後に、井掘哲弁護士から、裁判が目指すものは、被害者たちが求めているのはお金ではなく、本当は健康・友だち・夢を返してほしいということだというお話がありました。

私は、口頭弁論、裁判の報告集会、被害者の証言集会に参加し、改めて毒ガス被害の重さについて認識しました。私自身、何人もの毒ガス被害者に会い、お話をうかがっていますが、みなそれぞれに、体だけでなく心にも、言葉にできないほど大きな傷を負っています。しかも、毒ガスによる被害は、一生治すことができないのです。したがって、それに伴う心の傷も、一生背負うことになるものと思います。

被害者の中には、当時中学生だった王磊くんのほか、陳さんの娘さんのように小学生だった被害者もいます。10代の子どもたちが、この先ずっと毒ガスの被害に苦しむことになるのかと思うと、本当に胸が痛みます。日本政府は、こうした毒ガス被害の重さに目を向け、「誠実な対応を取るべきだと強く思います。

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