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憲法情報Now<憲法関連裁判情報>

 

戦後補償裁判――(5)強制連行北海道訴訟(姚義さんの事件)

I.M.記
原告・姚義さん

 強制連行に関する裁判の原告である姚義さん(1927年生)をご紹介します。姚義さんは、2003年9月、札幌地裁で強制連行北海道訴訟の原告として証言されました。以下の内容は、2003年9月に、北京でヒアリングを行ったときのものです。

 姚義さんは、河北省で農業を営んでいましたが、1944年8月、農作業中に突然捕らえられました。周囲では、姚義さんを含め、5名が連行されました。労働訓練を20日間受け、天津から青島を経由して、300人ほどが船で下関に運ばれたそうです。下関では、全員が消毒され入浴させられました。日本に着いたのは9月末でしたが、船中ではまともな食事もなく驚くほど痩せてしまいました。その後、列車で北海道に移され、紋別と小樽、幌内で10ヶ月以上労働させられました。

 労働時間は、毎日10時間以上に及びました。大きな石を車一杯にして運ぶ仕事でした。人間として扱われない日々で、満足な食事もないなか苛酷な労働をさせられたそうです。宿舎は、粗末な木造平屋で、100人以上が並んで眠りました。働かないと殴る蹴るの暴行を受け、罵られました。「これ以上侮辱を受けることが嫌で必死で働いた。労働はきつく、働くことと眠ること、僅かな食事をとること以外には何もできず、何も考えられず、楽しいことなど何もなく、ただ家に帰り家族と会いたかった。それまでの生活に戻りたかった」と姚義さんは語っています。

 敗戦は、新聞で知りました。労働者は泣き、笑い、叫び喜んだそうです。労働者は解放され、3ヶ月ほどして米国の手配で帰国しました。帰国は1945年末でしたが、骨が見えるほど痩せ細っていました。「生きていること、生きて帰れることが嬉しかった。骨になって帰国する者、骨さえ家族に返されない者も多くいた」。

 姚義さんは、戦後、なぜ自分が強制連行されたのか分からず、恨みをもって生きてきました。提訴の4年前に、中国の新聞で、かつて強制連行された労働者が日本政府を被告として提訴しているという事実を知りました。さらに記事には、「生存者を探している」と書かれていて、自ら抗日戦争記念館に連絡したそうです。その後、説明を受け、中国だけでなく日本にもこの訴訟を担う弁護士が多く存在することを知り、原告となりました。

 姚義さんは、裁判について、「公平に、公正に、まっすぐに歴史と向き合い、謝罪と賠償をして欲しい」と述べています。また、「日本の市民に伝えたいことは」との問いに、「私たちは日本人を恨んではいない。これは、過去の日本政府の行為に対する要求なのだ」と答えています。

 現在、この訴訟は札幌地裁で係属中です。

(法学館LawJournal2004年1月22日配信号より転載)

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