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浦部法穂の憲法時評

 

「全盲のピアニスト」


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2009年6月29日

 アメリカ・テキサス州のフォートワースで行われた第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、「全盲のピアニスト」辻井伸行さんが「優勝」したことが、「日本人初の快挙」などとして大きな話題となっている。辻井さんのCDには注文が殺到し、コンサートのチケットは即完売ということのようである。「日本人」の、しかも「全盲」というハンディを抱えた人の「優勝」ということが、この「辻井フィーバー」の最大要素となっているのであろう。もとより、辻井さんがこのコンクールで第1位に輝いたことは祝福されるべきことである。なによりも、辻井さんがすばらしいピアニストであることには間違いがないし、ここに到達するまでの彼の努力には称賛を惜しむべきではない。だが、しかし、「全盲」の「日本人」の「快挙」というとりあげ方には、私は大きな違和感を持つ。そして、こうしたマスコミ的方向づけに対し、人々が一斉に「右向け右」でその方向を向いてしまう日本社会の体質に、私はある種の危うさを感じざるをえないのである。それは、考えてみれば、これまでこのコーナーで取りあげてきたテーマのほとんどすべてに共通する問題であるように思う。そこで、今回は、この辻井さんの「優勝」、「快挙」などとして報じられた出来事を、一クラシック音楽ファンとしての個人的感想を交えながら、「冷静」にとらえ直してみたい。

 今回のクライバーン・コンクールでは、辻井さんのほかに、もう一人、19歳の張昊辰(チャン・ハオチェン)さん(中国)が第1位を受賞している。つまり、辻井さんと張さんが第1位を分け合ったのである。だから、辻井さんが「最高の評価を受けて優勝した」というマスコミ報道は、必ずしも正確ではない。また、「日本人」が「優勝」ということばかりを強調する日本のマスコミは、いかにも視野が狭いといわざるをえない。ちなみに、第2位は韓国のソン・ヨルムさんで、第3位は該当者なし、という結果であった。

 また、音楽の国際コンクールで第1位を受賞した日本人は、いうまでもなく、辻井さんが初めてではない。とくに、クライバーン・コンクールよりも「格上」のチャイコフスキー・コンクールでは、すでに、ヴァイオリンの諏訪内晶子さん(1990年)はじめ4人の日本人演奏家が第1位を受賞している。だから、「日本人初の快挙」という言い方は、完全に間違いである。もちろん、どんなコンクールでも第1位受賞はそれなりに称えられてしかるべきであるが、「快挙」とまで持ちあげるのは行き過ぎである。また、国際コンクールの第1位は、しばしば、スポンサー企業への配慮など、演奏以外の要素が絡んで決定されるということは、この業界では半ば「常識」とされている。その意味では、「第1位」だけに意味を見出すようなとりあげ方は、そもそも正しくないといえる。

 辻井さんの受賞がこれだけ大きな話題となっているのは、「全盲のピアニスト」というその話題性ゆえであることは、否定できない。「目が見えないのに国際コンクールで優勝するなんて、すごい!!」というわけであろう。「快挙」というマスコミの報道の仕方には、紛れもなくそういうニュアンスが含まれている。あるいは、第1位という結果自体にも、そういう意味での評価が含まれている、との見方もある。しかし、そういう評価は、辻井さんを称えているように見えながら実は彼を貶めるものでしかない。「全盲なのにすごい」という評価は、差別意識の裏返しである。たしかに、目が不自由であることで人とは違った苦労をしてきたであろうし、それを克服してここまできたことは、「すごい」ことである。しかし、一流の演奏家になる人は、それぞれにその人固有の苦労を経験し克服してきた人であり、みな「すごい」人なのである。「全盲」であるがゆえの苦労は、誰もが経験するいろいろな苦労の一つにすぎないとみるべきであろう。やはり全盲のヴァイオリニスト和波孝禧さんは、日本を代表するヴァイオリニストの一人であるが、その和波さんが著書の中で、「『全盲の』という肩書きなしでも通用する演奏をしているはずなのに、なぜ『一人の音楽家』として理解してくれないのだろう」と書いているように、「全盲なのに」とか「全盲だから」という評価は、決して称える評価ではありえないのである。演奏家にとっては演奏そのものへの評価こそがすべてなのである。目下の「辻井フィーバー」が、「全盲なのにすごい」という意識のものであるとするなら、それは決して喜ぶべきことではない。

 さて、では辻井さんの演奏そのものはどう評価できるであろうかであろうか。クライバーン・コンクールの入賞者の演奏は、web上で見ることができる。それを見たかぎりでの、私の個人的な好みに基づく感想にすぎないが、辻井さんの演奏は、音がきれいで聞いていて心地よいものであった。ただ、もう少し迫力のある音も欲しいし、音色の多様性に乏しいような感じもした。まだまだ、これから発展していく余地のあるピアニストだと思う。そういう若い音楽家は、辻井さんのように名前は知られていないものの、私のまわりにもたくさんいる。彼ら・彼女らもまた、すばらしい演奏家である。「辻井フィーバー」からは距離を置いて、そういう身近の若い音楽家たちを応援していくのも、音楽の楽しみ方の一つだと思う。そもそも、音楽に「国籍」は関係ないし、コンクールのタイトルさえも関係ない。要は、聞いていて共感や感動のできる音楽であればいいのではないだろうか。ともあれ、この先、辻井さんがスポンサー企業やレコード会社等の商業主義にもてあそばれて潰されてしまうようなことがないことを祈る。

 

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