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浦部法穂の憲法時評

 

公務員の政治的行為


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2010年4月8日

 社会保険事務所で年金相談等の業務を担当する公務員のHさんは、休日に、公務員であると名乗ることもなく無言で、自宅周辺の各戸の郵便受けに日本共産党の機関紙などを配布していたところ、国家公務員法違反(政治的行為の禁止)として逮捕され、起訴された。おかしな話である。警察は、なぜ、ただ黙ってビラを配っていただけのHさんが国家公務員だとわかったのであろうか。答えは二つしかない。

 その一は、「ビラ配り 捕らえてみれば 公務員」。もう一つは、「目をつけた 獲物がついに ボロを出し」。この二つしか考えられない。だが、どちらであっても、昔の特高警察さながらで、とんでもない話である。前者だったとしたら、ビラ配布している人は、片っ端から警察に捕らえられ、内容が政治的なものかどうかチェックされ身分を明らかにすることを求められる、ということになる。これでは、ビラ配布はすべて警察の検閲下におかれるのと変わらない。後者なら、警察から「好ましくない政党・政治団体の支持者、活動家」として目をつけられた人は、徹底的に警察の監視下におかれ、どんな些細なことでも口実をつけて罪に問われることとなる。これは、かつて治安維持法下で行われていたのと同じ思想弾圧そのものである。

 実際には、後者であった。警察は、Hさんを1ヶ月以上ものあいだ徹底的に尾行した。自宅を出てから、何を食べ、誰に会い、どんな集会に参加したか、その行動を詳細に記録し、多い日には10人以上の捜査員を動員、3・4台の捜査車両を使い、4〜6台のビデオカメラを回し33本ものビデオを撮ったというのである。Hさんがそれほどの「大物」であったのかどうかは知らないが、どうであれ、これは異常な捜査というほかない。思想の自由、表現の自由を保障した日本国憲法のもとで、そして、戦前とは違って「民主主義」を標榜するいまの日本で、このような警察の活動がまかり通っていることの異常さである。それを不問に付してHさんを有罪とするならば、日本は、もはや「民主主義国家」を名乗る資格はないことになろう。

 そんな心配をかろうじて払拭できる判決を、東京高裁が出した(3月29日)。1審の有罪判決を破棄し、Hさんを無罪としたのである。公務員の政治的行為禁止については、1974年の「猿払事件」最高裁判決が、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼の確保という目的のための制限であり、公務員の職種・職務権限や勤務時間の内外等を問わず禁止することも合理性があるとして、全面的に合憲とした。以後、この最高裁判決に逆らうような判決は出されていなかった。しかし、今回の東京高裁判決は、「猿払事件」判決に疑問を投げかけたのである。

 判決のポイントは、以下のようにまとめることができる。本件のような職務と関係なく勤務時間外に個人の立場で行った政治的行為を禁止すべき根拠は、「猿払事件」判決の論理によれば行政の中立的運営に対する「国民の信頼の確保」という点にあるが、「猿払事件」判決当時と今日とでは、国民の意識は大きく変わっており、表現の自由の重要性の認識も深まり、公務員だからというだけで行政の中立性に不安を覚えるということはないと思われるから、公務員の政治的行為を当該公務員の職種・職務権限や勤務時間の内外等を問わず一律に禁止するのは不必要に広すぎる制限ではないかという疑いはある。ただ、だからといって、当該規制をすべて違憲・無効とするのは適切ではないから、国家公務員法及び人事院規則の政治的行為禁止規定自体は合憲である。しかし、本件被告人の行為は行政の中立性やそれに対する国民の信頼を損なうようなものではなく、このような行為に政治的行為禁止規定を適用し処罰することは、表現の自由に対する必要やむをえない限度を超えた制約を課すこととなり、憲法21条に違反する。したがって、被告人は無罪である。

 要するに、判決は、公務員の政治的行為を禁止する国家公務員法及び人事院規則の規定自体は合憲としつつ、本件Hさんの行為にそれを適用することは表現の自由の侵害として憲法21条に違反する、としたのである。この種の事件で、違憲判断により無罪としたという点では、「画期的判決」といえよう。また、判決は、「なお、付言すると」として、日本の国家公務員に対する政治的行為の禁止は、「諸外国、とりわけ西欧先進国に比べ、非常に広範なものとなっている」ことは否定しがたく、国民の法意識の変化や、世界標準という視点からも、「刑事罰の対象とすることの当否、その範囲等を含め、再検討され、整理されるべき時代が到来しているように思われる」と述べ、現行法規制の不合理性を指摘している。ここまで踏み込んだ点でも、やはり画期的といってよかろう。この指摘は、最高裁も国会もきちんと受け止めるべきである。

 ただ、判決では、警察の捜査の異常性ということは、大きくは取り上げられていないようである(判決の全文にはまだ接していないので断言はできないが)。国連の自由権規約委員会は、2008年の日本政府に対する勧告のなかで、「政治活動を行った者や公務員が、政府を批判する内容のビラを個人の郵便受けに配布したことにより、住居侵入罪あるいは国家公務員法で逮捕され、起訴されるという報告に関して懸念を抱く」と言っている。本件の問題の本質も、この点にこそあると思う。


 

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