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浦部法穂の憲法時評

 

内閣総理大臣の訴追


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2010年9月9日

 民主党代表選への小沢一郎氏の出馬をめぐって、これまでほとんど注目されることのなかった憲法のある条文が、一躍「脚光」を浴びることとなった。憲法75条の「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない」という規定である。小沢氏については、同氏の政治資金管理団体「陸山会」が2004年に土地を購入した事実を同年の政治資金収支報告書に記載しなかったなどの政治資金規正法違反容疑に関し、検察側の不起訴処分に対し今年の4月に検察審査会が「起訴相当」の議決を出したが、再度不起訴となり、現在、検察審査会で2度目の審査が行われている。もし検察審査会が再び「起訴相当」の議決を出せば、小沢氏は「強制起訴」されることになる。そのため、小沢氏の代表選出馬は、首相になって起訴を免れるためではないか、などといわれ、憲法75条の解釈が、マスコミ等であれこれ議論されているわけである。

 この憲法75条の規定の趣旨については、学説では、一般に、内閣の一体性を確保し検察や司法権の不当な圧力・影響から内閣・行政権の安定を擁護しようとするものだ、などと説明されている。つまり、検察や司法権の内閣に対する政治介入を防ぐため、国務大臣の訴追については内閣の長である総理大臣にその可否を判断させよう、ということである。これと同じような規定としては、国会議員は国会の会期中逮捕されないという「不逮捕特権」を定めた憲法50条があるが、こちらは中世イギリス議会以来の伝統に基づくもので、こんにち多くの国の憲法に同様の規定があるのに対し、憲法75条のほうは、あまり例の見られない規定だといえそうである。しかも、「訴追」のみを対象としており、逮捕・拘留などの身体の拘束については言及していない点で、上記のような規定の趣旨からすると、いささか不整合である(一方、50条は、国会議員の身体の拘束を問題にしているのであって、不訴追の特権まで認めるものではない)。そういう意味で、憲法75条の規定は、なぜこういう規定が憲法に置かれているのか、よくわからないところがある。しかし、たとえば、前政権時代に任命された検察トップが現政権を倒すために政治的意図で首相や大臣を訴追する、などということが絶対ないとはかぎらないから、まったく無意味な規定だというわけでもなかろう。

 さて、今回の「小沢一郎氏と憲法75条」問題で、私もマスコミ数社から意見を求められたが、一様に聞かれたのは、75条の「国務大臣」には内閣総理大臣は含まれないのではないか、という問いであった。そういう問いの裏側には、《75条の「国務大臣」に内閣総理大臣は含まれないとすれば、内閣総理大臣の訴追については75条の「同意」は必要でないことになる。したがって、小沢氏がかりに首相になっても、検察審で「強制起訴」の結論になれば「同意」なしでも起訴できるはずだ》という、記者の前のめりの(そうあるべきだという)思い込みがあるように感じられた。75条の「国務大臣」は内閣総理大臣も含むとするのが通説であるが、たしかに、内閣総理大臣を含まないという説もある。しかし、だから内閣総理大臣については無条件に訴追できる、とする学説はない。そのように解釈したならば、内閣の長である総理大臣のほうが他の大臣よりも検察等に対して弱い立場に立たされることとなって、75条の趣旨や憲法が予定する内閣総理大臣の地位に矛盾する結果になるからである。内閣総理大臣を含まないという説は、内閣総理大臣については在任中いっさい訴追されないとしているのである。だから、「国務大臣」に内閣総理大臣が含まれるかどうかは、小沢氏が首相になった場合に「同意」なしでも起訴できるかどうかを決することになる論点ではない。かりに小沢氏が首相になった場合、検察審で「強制起訴」の結論になったとしても、首相在任中は、小沢氏本人が内閣総理大臣としてみずからの訴追に同意しないかぎり(「国務大臣」に内閣総理大臣は含まれないとの説に従うなら、同意の有無にかかわらず)起訴できないのである。

 小沢氏本人は、「起訴のがれ」という批判をかわすためか、もしそういう事態になれば起訴に同意する旨を公言した。検察が2度にわたって不起訴としたのであるから公判で堂々と潔白を証明する、というのである。たしかに、かりに「強制起訴」ということになったとしても、それをもって小沢氏を「クロ」あるいは「クロ」に近いとみるのは妥当ではない。まして検察が2度にわたって不起訴としたのであるから、その不起訴が政治的な配慮・圧力等でゆがめられたものであったなどの事情が認められないかぎり、あえて「強制起訴」に持ち込むことが妥当かどうかは、国家刑罰権の謙抑性という観点からも問題があるといえる。しかし、みずから訴追に同意しながら首相の座にとどまるということが、はたして政治的に可能であろうか。訴追に同意するくらいなら総辞職するのが、政治的には常道ということになるのではなかろうか。とすれば、小沢氏の代表選出馬の意図は何なのか。今回の権力闘争は理解不能なところが多い。それよりなにより、わずか数ヶ月で首相が何度もコロコロ変わるような政治がいったい国民のためになるのか。私には、憲法75条よりもそちらのほうが重大問題のように思われるのだが…。


 

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