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浦部法穂の憲法時評

 

人智の限界


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2011年3月17日

 このたびの東北・関東大地震で被災された方々に心よりのお見舞いを申し上げます。

 マグニチュード9.0の巨大地震、そして、10mを優に超える大津波は、まさに想像を絶する大惨事をもたらした。さらに、東京電力福島第一原子力発電所では、恐れられていた大地震による原発事故が現実のものになってしまった。宮古市田老には、世界に誇る高さ10mの防潮堤があったというが、この巨大地震と大津波の前に、それも無力であった。また、何重にも用意されていたはずの原発の安全装置も、一瞬にして破られてしまった。自然の脅威は人間の知恵で考えられる範囲には絶対に収まってくれないことを、私たちは見せつけられたのである。16年前の阪神・淡路大震災のときには、地震に対する備えの甘さや対応のまずさが被害を拡大したという面もあり、当時、そうした点の指摘・批判も多くあった。そして、それが「教訓」としてその後の災害対策等に生かされてきた部分も多いと思う。今回も、備えや対策・対応に問題はなかったかの点検は必要である。しかし、それ以上に、私は、今回、自然は人間の知恵をもって支配できるようなものではないということをあらためて認識することが重要ではないか、という思いを強くもった。

 つまり、自然界の現象には人智の及ばない部分があるのだから、100%安全とか絶対大丈夫ということはない、ということの認識であり、その認識のうえにたって物事を考える必要がある、ということである。そういう認識に立てば、たとえば、電力需要や温暖化ガスの観点だけから原発の優位性をいう議論に対して、万一の事態になればチェルノブイリのように半径30km圏内には半永久的に人が立ち入れないという結果をもたらしかねない施設を、この狭い国土のあっちにもこっちにも作っていいのか、という問題提起を、「極論」として一蹴することはできないことになるはずである。あるいは、地震や津波に対する備えも、「これだけすれば大丈夫」で終わるのでなく、大丈夫とは考えられるが万一これでもダメなときにはどうするか、という対応を考えておけば、万一の時の被害を減らすこともできるのではないかと思われる。自然災害に対する備えは、十分にしなければならないが、人間が十分と考えても、自然はその範囲にとどまってはくれない。だから、十分な備えをしたうえで、さらにその次の対応を考えておかなければならないのである。今回の巨大地震と大津波は、そのことをあらためて私たちに認識させるものだと思う。

 もちろん、被災地の現状は、まだ、そんなこと以前の状況であろう。安否すらわからない人が万の単位でいるし、避難した人々も燃料や食糧などの不足で過酷な日々を強いられている。また、福島原発の事故は現在進行中であり、この先どこまで危機的な状況が深まるのか、予測不能な状態である(3月16日現在)。こうした現下の危機への対応が、いま現在緊急の課題であることはまちがいない。被災地では、それ以外のことに手も頭も回らないのは当然だと思う。しかし、国の政治がそれでは困る。現下の危機への対応に全力を注ぐのは当然として、その先や全体を見渡して、打つべき手をきちんと打つことが、政治の役割ではないだろうか。被災地においては、まだ日が浅いため、被災者の皆さんも気が張っていてなんとか持ちこたえていても、長引くにつれ、そうはいかなくなる。そんなときに、先の見通しがなんとか見えていれば、人々は苦しいなかでも耐えることができるだろう。だから、被災地の救援・救護と同時並行的に、復興に向けての段階的な取り組みを考えておく必要がある。もちろん、現場の状況がわかっている被災地の自治体がそれをやるのが一番いいのだが、被災地の自治体にいますぐそれをやれと求めうる状況にない以上、国の政治の出番とすべきであろう。

 また、原発の問題は、福島原発だけの問題ではない。福島原発の問題の解決は、文字どおり待ったなしの緊急課題であるが、今回の地震と同じような地震がいつどこで起こらないともかぎらない。これほどの巨大地震は当分起こらないだろうと考える根拠はないし、かりにそういう根拠が示されたとしても、それは自然の前には絶対的な根拠とはなりえない。とすれば、ほかの地域で同じような地震や津波が起きたときにその近くにある原発で同じような事故が起きないようにする対応は、直ちにとられるべきであろう。その対応策は、それぞれの電力会社に委せておけばいいというものではなく、政治の意思として示される必要がある。たとえば、ドイツは、福島原発の事故をうけて、原発稼働期間延長の見直しや1980年以前に稼働をはじめた原発7基の一時停止を政府として決定したと伝えられるが、足下の日本政府からは、目下のところ何の意思も表明されていない。福島原発の対応に追われるだけでは、政治の役割を果たしたことにはならない。

 今回の震災では、あちこちで「想定外」という言葉が言われている。今回に限らず、大きな災害が起こる度に言われているような気もするが、「想定」自体がもともと不十分だった「想定外」もあれば、人間が「想定」することに限界がある故の「想定外」もある。前者なら、十分な「想定」のもとに対策を講じていれば防げた災害ということになるから「人災」というべき側面をもち、「想定外」という言葉は免罪符にならないが、後者なら、どうであろう? たしかに、自然相手には人智の及ばないほんとうの「想定外」もある。科学は絶対ではない。そのことを謙虚に認めるならば、「想定外」の場合を「想定」することも、人間には可能ではないかと思うのである。

 

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