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浦部法穂の憲法時評

 

裁判員裁判と検察官上訴


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2011年4月7日

 1審の裁判員裁判の無罪判決を控訴審がひっくり返すという事例が、3月29日と30日に、ともに東京高裁で、たてつづけにあった。29日の事例は、放火や窃盗などの罪に問われた被告人について、1審判決が、裁判員裁判の結果、窃盗罪の成立は認めたが放火については直接的な証拠はないとして無罪としたのに対し、東京高裁が、被告人の前科(放火)に関する検察側請求の証拠を採用しなかった地裁の措置は違法だとして、1審判決を破棄し地裁に差し戻したものである。また、30日の東京高裁判決は、覚醒剤密輸の罪に問われた被告人について全面的に無罪とした1審の裁判員裁判の判決を、「証拠の評価を誤り事実を誤認した」として破棄し、みずから有罪(懲役10年、罰金600万円。求刑は、懲役12年、罰金600万円)を言い渡したものである。

 このように、一般市民が参加した裁判員裁判で無罪とされたものを、控訴審の裁判官だけによる裁判で簡単にひっくり返すことができるというのであれば、裁判員裁判の意味がない、ということになろう。東京高裁のこの2つの判決には、この点についての配慮も言及もまったく見られない。裁判員制度導入前とまったく同じ感覚で、1審判決を破棄しているとしかみえない。いったい、何のための裁判員制度だと考えているのであろうか。裁判員として選ばれて、決して喜んでではなく、仕事も家事も犠牲にして、しかし真剣に事件に向き合った人々の労力は、いったい何だったのであろうか。裁判員をバカにしている、といった論調は、マスコミ報道にもみられたが、実際、そのとおりである。

 しかし、この問題は、そういった感情論のレベルの問題にとどまらず、制度のたて方じたいの欠陥としてとらえられなければならないと思う。日本の刑事裁判は、ずっと、検察官上訴、つまり被告人にとって不利な上訴を、無限定に認めてきた。裁判員制度導入の際に、これを機に検察官上訴を禁止すべきであるとか限定すべきだという議論が一部にあったが、ほとんど顧みられることなく、従来のままで裁判員制度がくっつけられた、という格好になった。しかし、裁判員制度の趣旨が、重大な刑事事件の裁判に一般市民の感覚をとり入れるという点にある以上、一般市民の感覚をとり入れた結果として示された判決には国は従うことを原則とすべきであり、これを不服だとして検察官側が控訴することは原則として認めるべきでない、とする議論は、きわめてまっとうな議論のはずである。だから、裁判員制度の導入と同時に、検察官上訴を禁止する(あるいは、1審判決に明白な違法がある場合に限るなど、限定する)制度にすべきだった、といえるのである。

 じつは、検察官上訴が認められるかどうかは、裁判員制度の導入ではじめて議論の対象になったという問題ではない。現行憲法のもとでは、昔から議論されてきた問題でもあったのである。それは、「何人も……既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」とする憲法39条の解釈をめぐって、学説上争われてきた。この規定は、前段と後段の関係もわかりにくく、決してすっきりした条文ではないのでいろいろな解釈がなされることになるが、その成立の経緯などに照らせば、アメリカ法的な「二重の危険の禁止」の考え方を反映したものであることは、まちがいない。

 「二重の危険の禁止」とは、刑事裁判という「危険」に一度さらされた者は同じ事件について再度刑事手続に服させられない、ということを意味し、「被告人を有罪にする試みを繰り返すことによって、彼を当惑・出費・試練に陥れ、不安な生活状態を強い、無実の者を有罪とする可能性を封ずるため」(アメリカ連邦最高裁判決)のものだとされる。こうしたところから、アメリカでは、無罪判決に対する検察官上訴は禁止されてきた。だから、憲法39条がアメリカ法的な「二重の危険の禁止」を定めたものと解するならば、無罪判決に対して検察官側が上訴することは、裁判員制度と関係なく、憲法上許されない、と言うこともできることになる。実際、そのように主張する学説も、昔から存在した。しかし、多くの学説は、憲法39条が「二重の危険の禁止」を定めていると解したとしても、上訴審まであわせて1個の「危険」であるとする(1審だけで「危険」が完結したとはみない)ことで、検察官上訴も「二重の危険の禁止」に反しない、としてきた(最高裁判例も同じ)。

 たしかに、アメリカの刑事裁判は陪審制を前提とするものであり、日本とは制度が違うから、アメリカ法の考え方をそのまま日本に持ち込むことは必ずしも適切でないということは、裁判員制度導入前ならば、それなりの説得力を持ちえたかもしれない。しかし、裁判員制度は、制度の具体的な仕組みは陪審制と異なるとしても、その趣旨・意義においては陪審制と共通するものであり、そうだとすれば、制度が違うからアメリカと違っていいのだという議論は、もはや通用しないというべきであろう。検察官上訴の可否は、あらためて真剣に議論されるべきである。そもそもで言えば、検察官上訴を無限定に認めている日本と、原則それを禁じているアメリカとの違いは、じつは、制度の違いというよりも、そして裁判員制度の導入ともかかわりなく、刑事裁判を犯人処罰のための手続とみるか、それとも国家の刑罰権を抑制し冤罪を防ぐための手続とみるか、という刑事手続のとらえ方の根本的な違いに根ざしているように思う。

 

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