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浦部法穂の憲法時評

 

復興に向けての原理原則


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2011年4月21日

 震災から1ヶ月が経ったが、被災地の状況は、いまだ応急的な対応に手一杯という段階にあるようにみえる。福島第一原発の深刻な事態も、まったく見通しのつかない状態が続いている。東京電力は、6ヶ月から9ヶ月で収束させるという工程表を示したが、現状では「希望的観測」以上のものではないように思われる。被災者の生活再建の道筋は、まだまだみえてこない。阪神・淡路大震災のときの私の感覚では、まだまだ厳しい状況が続く中でありながらも被災地が少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるなと感じられたのは、4月になってから、つまり、やっと3ヶ月経ってからだったように記憶する。だから、阪神・淡路よりもさらに大きな被害をもたらした今回の震災が、被災者の救助・救援、支援、そして復興までに、より長い時間を要するのは、ある意味仕方のないことだといえる。しかし、反面、それは、「仕方がない」で済まされてよいことではない。生活の基盤を根こそぎ奪われた被災者にとっては、いつになったら生活基盤を回復し生活の再建を図ることができるのかが、いちばんの関心事だと思う。その見通しがつかなければ、いまの状況から次のステップに踏み出すことはできない。それには、政府が、被災者の生活基盤の回復のためにこういう支援をするということを具体的な形で示すことが、まず重要である。その取り組みは、できるかぎり速やかになされる必要がある。被災者の立場からすれば、もう、「仕方がない」と言っていられる期間は過ぎたと思う。

 さて、被災者に対する支援で、いちばん根底に据えられるべき原理原則は、「個人の尊重」ということである。これは、いうまでもなく、憲法13条が「すべて国民は、個人として尊重される」として明らかにしている日本国憲法のいちばん根底にある原理である。だから、大震災の被災者に対する支援が、この、憲法の基底的原理に従ってなされるべきことは、あらためていうまでもない当然のことだといえる。しかし、16年前の阪神・淡路大震災のとき、私は、この国の政治や社会が「個人の尊重」ということをいかにないがしろにしてきたかを見せつけられた思いがした。震災からの復旧・復興は、もっぱらインフラや制度・システムの復旧・復興に重点が置かれ、個人の生活再建への支援は、「個人補償はできない」とか「個人資産の回復のために公的支出はできない」などといった論理で、ことごとく否定されてきた。しかし、震災によって生活基盤を根こそぎ奪われた被災者が求めるのは、生活基盤の回復ということであって、失った財産・資産の回復ではない。そして、生活基盤というものは、個人が自立して生きていくためのまさに基盤であるから、すべての個人がそのような生活基盤をきちんと持てるということが、「個人の尊重」の出発点である。だから、「個人の尊重」を基底的原理とする憲法のもとで、すべての人が自立して生きていくことのできる生活基盤を保障することは、政府の最低限の責任である(以上の点については、私の、「被災者に対する公的支援と憲法」『自由と正義』48号〔1997年8月号〕、「阪神・淡路大震災と憲法論の課題」憲法理論研究会編『国際化の中の分権と統合』〔敬文堂、1998年〕などを参照されたい)。被災者の生活基盤の回復ということで基本になるのは、住まいと仕事(生計維持手段)の確保であろう。そこまでは最低限の政府の責任としてきちんとやることが、「個人の尊重」原理に則った被災者支援のあり方だと思う。そして、政府がそのことをいち早く表明すれば、被災者の苦難や不安もかなり和らげられるのではなかろうか。

 「個人の尊重」とは、難しい議論を抜きにしていえば、要するに「一人ひとりを大事にする」ということである。しかし、これを現実に移すのは、言葉で言うほど簡単なことではない。具体的にどうすることが「一人ひとりを大事にする」ことになるのかは、状況や局面次第で変わってくるし、いくつかの選択肢がある場合に、「あっちを立てればこっちが立たず」で、どれをとるのが「一人ひとりを大事にする」ことになるのか、判断が難しいという場合もある。しかし、「一人ひとりを大事にする」ということが現実には難しいからといってそのことを意識の外に放り出してしまうのと、難しくてもつねにそのことを意識しながら考え行動するのとでは、難しいのは同じであっても結果は大きく違ってくるはずだと思う。たとえば、今回の震災で津波による大きな被害を受けた地域の復興をどうするか。住民たちの、もとの土地に戻って生活したいという願いは、わがままでもなんでもない切実なものであろう。とすれば、その願いは十分尊重されなければならず、それこそが「一人ひとりを大事にする」ことにほかならない、といえそうである。しかし他方、もとの土地に戻った場合、再び津波に襲われればまた同じような被害にあうおそれがあるとしたら、住民たちの「戻りたい」という願いをそのまま受け入れることは、住民たちを再び危険にさらすことにほかならず、それはむしろ「一人ひとりを大事にする」ことにはならない、ということにもなろう。

 こういう場合に、いったいどうしたらよいのか。もとの土地に戻って生活するのは危険であるということがたしかな事実であるならば(地域によっては現実にそういうところもあると思う)、そのことを住民たちが納得できる十分な説明を経たうえで、もとの土地に戻らないで生活再建を図る道筋を示すことが、政治や行政の責任だと思う。それが「一人ひとりを大事にする」政治や行政のあり方といえるのではなかろうか。そういう意識をもたない政治や行政は、「住民の願いはもっともだけれど再び危険にさらすことはできない」と言って、いわば「上から」一方的に、住民たちをもとの土地に戻らせない復興計画を作ってしまい、住民たちの反発を招いて復興に手間取る結果をもたらすだろう。このことは、福島第一原発の問題でも同じであり、ここでは、政治や行政と同等以上に、東京電力が「一人ひとりを大事にする」という意識をもって事にあたることが求められる。政治や行政の責任ある立場にある人たちは、そして、東京電力の会長・社長以下経営陣は、「一人ひとりを大事にする」という意識を片時たりとも忘れないで復旧・復興に取り組んでもらいたい。それが、大臣や政治家、そして企業経営者の責任の示し方だと思う。そういう責任感が、政府首脳や東京電力のトップから伝わってこないのが、気がかりである。

 

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