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浦部法穂の憲法時評

 

非常事態と憲法


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2011年5月5日

 大震災の中で迎えた64回目の憲法記念日は、当然のことながら、震災との関連で憲法に言及する論説や発言が、新聞等でも、また、各党談話でも、目立った。その中に、こうした大規模災害等の非常事態に対応する仕組みの不備が震災や原発事故への対処を不十分なものにしている大きな要因だとして、非常・緊急事態に素早く対応できるように憲法を改正する必要がある、などとするものが見受けられた。現在進行中の震災や原発事故を「憲法改正」の口実にする「火事場泥棒」的発想で、言論人ないし政治家としての誠実さを疑わざるをえないものであるが、数々の「想定外」に右往左往し有効な対策を迅速・機敏に打ち出すことのできない政府の対応ぶりをみていると、「非常時の緊急措置や私権制限を認めていない憲法のせいだ。だから憲法改正が必要だ」という議論も、もっともらしく聞こえるのかもしれない。

 憲法は、国家権力の根拠となると同時にその発動・行使を制限し、国民の権利を保障するための法である。だから、権力者が独断的に行動することはできず、国民の権利を奪ったり合理的理由なく制限したりすることはできない。権力を発動して国民の権利を制限するには、制限の必要性・合理性を明示したうえで、憲法の定める手続きに則って(つまり、法律を制定して)行うことが必要となるのである。しかし、戦争・内乱や大規模な自然災害などの非常・緊急事態の際には、そんなまどろっこしい手続きを踏んでいたのでは間に合わない、というので、憲法に拘束されない権力行使や法律にもとづかない権利制限も認めるべきだ、とする議論は、憲法学・法律学の世界でも、ないわけではない。いわゆる「国家緊急権」の議論である。

 「国家緊急権」とは、戦争・内乱や大規模災害などによって、国家の存立自体が脅かされるような非常・緊急事態が発生し、憲法に定められている通常の方法によってはそれを乗り切ることができないというときに、一時的に憲法を停止して超憲法的な緊急措置をとる国家の権能だ、とされる。要するに、非常・緊急事態の際に憲法の拘束を外して権力者に権限を集中させることを意図したものであるが、国家の存立自体の危機なのだからその国家の基本法たる憲法そのものの危機ということができる、ということで、「国家緊急権」は憲法体制の崩壊を避けるために憲法を停止するものであって「憲法保障」のための手段だ、ともいわれる。

しかし、これが、「権力に対する法的制限」を基本要素とする近代立憲主義の重大な例外であることは間違いなく、この「国家緊急権」を文字どおり「超憲法的」に、憲法に規定されていなくても非常・緊急時には当然認められるものだとするのは、立憲主義そのものの否定と大差ないものとなる。だから、「国家緊急権」というものを認めるとしても、たとえばフランス憲法のように非常時の大統領への権限集中を憲法上明文で定めているような場合にのみ、その限度で認められるものと考えるべきこととなる。日本国憲法には、このような、非常・緊急事態における措置を定めた規定はない。「だから、震災や原発対応がもたついているのだ。憲法改正しかない」というのが、「それみたことか」式の改憲派の議論なのである。

 同じようなことは、じつは、16年前の阪神・淡路大震災の直後にも盛んに言われた。そのときにも私は言ったが、震災への対応がもたついているのは、政治家や官僚たちの想像力と責任感の欠如のためであって、憲法のせいではない。しかし、憲法や人権というものを毛嫌いする人々は、事あるごとに、憲法の拘束をなくし人権を制限できるようにしようと、なんでも憲法のせいにしたがるのである。もっともらしく聞こえたとしても、それは真実ではない。彼らの真意は、思うように権力を振るえる憲法にしたい、ということでしかないのである。

かつて(1925年)、ハンス・ケルゼンは、「国家緊急権」について次のように述べた。
 「国家は〈生存〉しなければならないという殊勝な断言の背後には、多くは次のような無遠慮な意志だけが隠れている。それは、国家は、〈国家緊急権〉というものを是認させて、これを利用する人々が正しいと思うように、生存しなければならないという意志である」(H.ケルゼン〔清宮四郎・訳〕『一般国家学』)。

 同様に、尾高朝雄は、1943年の論文で、こうも言っている。

 「国家の生命を保全せねばならぬ、という何人も肯わざるを得ない主張の蔭には、国家緊急権の旗旌をかざして国家の運営を自己の描く筋書き通りに専行しようとする意図が秘められ易い」(尾高朝雄「国家緊急権の問題」法学協会雑誌62巻9号)。

 

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