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浦部法穂の憲法時評

 

大連立?


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2011年6月16日

 「菅おろし」の声が、野党のみならず与党の中でも、そして政権内部ですらも、日に日に高まっている。それでも菅首相は、「内閣不信任案が大差で否決された」ということを名分に、なお続投に意欲を見せていると伝えられる。不信任案が否決されたということは信任されたということだから辞めなきゃならない理由はない、ということになりそうだが、不信任案の否決に持ち込めたのは、鳩山前首相との取引でみずから「辞める」と明言したからであり、それなのに「不信任案が否決されたんだから辞める必要はない」とか「メドがついたら辞めるが、いますぐ辞めるといった覚えはない」などと言ったのでは、「ペテン師」呼ばわりされても仕方がない。もっとも、そもそもなぜ菅首相を辞めさせなければならないのか、「永田町」の外にいる者にはさっぱり訳がわからない。震災・原発対応で一刻も立ち止まっていられないときに、辞める・辞めないでごたついているとは、いまの国会議員・大臣は、全員が政治家失格というべきであろう。ただ、ひとたび「辞める」と言った首相・内閣は、その瞬間に「死に体」になるから、もはや何も前に進められない。だから、菅首相は、自分で「辞める」と言った以上、「原発が落ち着くまで」とか「2次補正成立まで」とか、未練がましいことは言わずに、すぐに辞めるべきである。とくにいまは、一ときの「政治空白」も許されないときなのだから。

 とはいうものの、では「ポスト菅」はどうなるのか、首相が替われば震災・原発対策の喫緊の課題は速やかかつ適切に進められるのか、となると、これもはっきりした絵は見えてこない。そんな中で、一部に、民主・自民の「大連立」を模索する動きがある。いわゆる「ねじれ国会」のもと、野党の協力を得て被災地の復興や原発事故対策を迅速に進めていくためには「大連立」が最も有効適切だ、というわけである。しかし、これも、積極的な口ぶりだった人が次の日には慎重論を展開するなど、腰の据わった動きのようにはみえない。また、一方で、「大政翼賛会」になる、などとして、「大連立」構想そのものに反対する人も少なくない。だから、実際に「大連立」政権が実現するのかどうかは、いまの段階ではまったくわからない。が、民主・自民の「大連立」という話は、2007年の福田内閣のときにも、いまとは与・野党逆の形の「ねじれ国会」のもとで、取りざたされたことがあり、いまになって初めて出てきた話ではない。このときは、当時の代表だった小沢氏以外の民主党役員全員が「大政翼賛会」になるなどとして反対したため実現しなかったが、今回は、民主党のほうに積極論が多いようで、「大政翼賛会」になってもいい(?)ということなのだろうか。

 「大連立」と「大政翼賛会」は、もちろん同じものではないが、日本社会の雰囲気としては、当時と、なにやらきわめて似通った感じになっているような気がする。この国難に国民が一丸となって立ち向かうべきだ、とか、国民みんなが節電に努め照明を落とすとか夏の冷房温度を上げるなど我慢して乗り切ろう、とか、支配層に都合のいい方向に国民精神を誘導し、議会は「オール与党」体制で批判・反対を封じ込める、というのは、やはり「大政翼賛会」的というべきだろう。私は、現下の状況の中で言われる上記のようなこと、つまり、国民が一丸となって立ち向かうべきだとか節電に努めるべきだということ自体を否定するつもりはない。しかし、それが為政者や大企業経営者などから国民への「モラル」的呼びかけとして唱えられるのは、彼らの責任逃れ・責任転嫁以外の何物でもないと思う。そして、挙げ句が、震災・原発対応を迅速適切に進めるためには与野党を超えた協力が必要であり、それを円滑に行うには「大連立」しかないという、やはり自分たちの責任を棚上げにした議論である。

 そもそも、2010年の参議院選挙で与党民主党が敗北し参議院の過半数を割ったときから、野党の意見も取り入れ協力を得る形でなければ何も進まないことは、わかっていたことである。私は、その当時の本欄で、いわゆる「ねじれ国会」という状況は、野党の主張もとり入れなければならないという意味で、「民主主義政治にとってむしろ好ましい状況だともいえる」と書いた(2010年7月15日付「参議院選挙」)。そういう「本物」の民主主義政治が行われてきたならば、こんにちの大震災や原発事故への対処も、もっと迅速適切にできたはずだったと思う。「大連立しかない」は、権力を握りたい・握っていたいという「権力欲」しか頭にない人たちの粗末な発想だと断じていい。「大連立」なんかでなくても、その気になればできることなのである。

 私は、2010年の参議院選挙に関する上記の記事で、こうも書いた。
《もっとも、与党だとか野党だとかいっても、……選挙目当てや権力目当てだけで、くっついたり離れたりしている政党ばかりでは、少数者の意思の反映云々も、絵空事にすぎないものとなる。そういうなかでの「野党の主張も取り入れなければ法律は一つも成立しない」状況は、それこそ、重要法案は一つも成立しないという最悪の結果をもたらすことになりかねない。あるいは、数あわせのためだけの新たな連立の枠組みが作られる可能性もあるが、そこまで無節操な政治もまた最悪である。一般論としては民主主義政治にとってむしろ好ましい状況も、いまの日本の現状のもとでは、逆に最悪の結果をもたらす危険性を抱えているようにも思われる。》

 不幸なことに、その「最悪の結果」が、誰しもそれどころではないと思うはずのいま、起きてしまっている。権力の座にすわりたいだけの「大連立」では、国民はますます不幸になるだけである。

 

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