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浦部法穂の憲法時評

 

電力使用制限令


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2011年7月7日

 7月1日、東京電力および東北電力管内に「電力使用制限令」が発動された。電気事業法27条に基づく電気使用制限等規則(経済産業省令)による経済産業大臣告示で具体的に発動されたものである。第1次オイルショック時の1974年以来37年ぶりの発動だということであるが、当時、私はそんなものが発動されたことを知らなかった。そういえばテレビの深夜放送がなくなったことがあったな、という程度の記憶である。今回は、テレビの深夜放送はなくならず、そのかわり、国をあげての節電大キャンペーンで、「暑い夏だが、我慢して乗り切ろう」みたいな雰囲気が私たちを包み込んでいる。

 そもそも、この「制限令」は、契約電力500KW以上の大口需要家に対して使用電力を制限するものであって、一般家庭には関係がない。企業のみならず一般家庭でも15%節電をしなければならない、みたいな言い方が新聞・テレビでなされているが、一般家庭には法的な義務はいっさいない。私の記憶では、1974年のときには、これほど大きく「電力使用制限令」なるものがマスコミ等で取りあげられることはなかったと思う。しかし、いまは、節電しなければ「非国民」扱いされかねない雰囲気である。この国の国民は、なぜこうも従順に「右向け右」の号令に従ってしまうのであろうか。号令に従う前に、この節電キャンペーンが何のためのものであるのか、企業も家庭も一律15%節電、そのために家や学校や駅の冷房を我慢するなどのことが本当に必要なのか、といったことを考えてみるべきであろう。

 1974年のときは、石油の大幅な供給不足が懸念されるなか、火力発電で使用する石油の使用量を抑制するために電力の使用制限がかけられた。要するに、このときは、総体としての電気使用量の抑制が必要だったのである。だから、テレビの深夜放送を休止するなどのことも、意味をもった。しかし、今回は、ピーク時の使用電力が供給能力を超えて突発的な大停電などの不測の事態を招かないようにするための「制限令」である。つまり、今回は、総体としての電気使用量の抑制が目的ではなく、ピーク時に供給能力を超えないようにできればいいのである。だから、テレビの深夜放送は、今回はやめる必要がないということになるわけである。言いかえれば、今回は一日中節電が必要なわけではなく、また、気温が極端に高くならない日など電力使用量が比較的少ない日には節電の必要もないのである。節電が必要なのは、供給能力を超えるおそれのあるピーク時の一瞬だけなのであるから、常時冷房を我慢する必要は、さらさらないのである。

 私の住む関西電力管内は、「制限令」の対象になっていないが、関西電力は、福井県にある原発の再稼働ができない状況のもとでは電力不足は必至だとして、管内全契約者に15%の節電を要請している。その後、故障で停止していた火力発電所の再稼働のメドがついて供給力が上積みされたが、関西電力の社長は、それでも原発が動かない以上15%節電は必要だ、と言った。ここに、今回の節電大キャンペーンの正体が見えている。つまり、原発がなければ日本経済は立ち行かず快適な生活もできないぞ、という「脅し」である。「電力使用制限令」も、同じである。福島の事故にもかかわらず、日本の電力会社と政府は、原発依存をやめようというそぶりさえ見せない。大臣が原発再稼働の音頭取りをやっているほどである。各電力会社の株主総会では、「脱・原発」の株主提案は、けんもほろろに否決された。これだけの大きな事故を起こしておきながら、そしてその収束への道筋すらいまだ見えない状況の中で、「原発必要論」の「脅し」に乗って節電に励むとは、何とも人のよい話である。

 以前にも書いたが、日本の電力は、現状で言っても、原発なしに需要をまかなえるだけの供給能力をもっている、とも言われている(「脱・原発」本年6月2日付け)。とすれば、「脱・原発」は、その気になればすぐにもできるのである。しかし、そうした情報は、政治と癒着した独占企業の電力会社側からは出てこない。この独占的な電力供給体制を打ち破らないかぎり、私たちは根拠のはっきりしない数字のもとで「我慢」を強いられることになるのである。そして、皆が不平不満も言わずにいそいそと節電に励むこの国のいまの姿は、なにやら、人々が「欲しがりません、勝つまでは」と言って窮乏生活に耐えていた時代の空気と通底するものがあるように感じられてならない。

 誤解のないように付言するが、私は、節電なんかしなくていい、と言っているわけではない。節電は、原発が動く動かないにかかわらず、あるいは節電キャンペーンが張られようが張られまいが、必要なことである。だから、この機に、電気の使い方をもう一度見直し、不必要に多くの電力を使うような生活を改めよう、という意味での節電なら、大いに結構である。だが、それは、我慢するという話ではない。電力会社や政府の言い分、そしてそれを垂れ流すだけのマスコミ情報に踊らされた節電ではなく、主体的な節電こそが求められるのである。そして、そのことによって、原発なしでも我慢せずに生活できるということを、電力会社や政府に対して見せつけてやれば、「原発必要論」の「脅し」も通用しなくなるはずである。

 

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