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浦部法穂の憲法時評

 

「日の丸・君が代訴訟」最高裁判決


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2012年1月26日

 卒業式などで日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった公立学校の教職員などを停職や減給、戒告とした東京都の懲戒処分をめぐる3件の訴訟の上告審判決が、1月16日に出された(最高裁第1小法廷)。3件の訴訟の原告は計171人ということで、うち停職処分を受けたのが2人、減給処分が1人、あとの168人は戒告処分であった。最高裁は、停職処分2人のうちの1人と減給処分の1人について、「裁量権の逸脱・濫用」を理由に処分を取り消し、戒告処分の168人と停職処分の1人については裁量の範囲内で違法ではないとした。判決の論理を要約すると、以下のとおりである。
@不起立行為等は「全校の生徒等の出席する重要な学校行事である卒業式等の式典において行われた教員による職務命令違反であり」、「式典の秩序や雰囲気を一定程度損なう作用をもたらすものであって、それにより式典に参列する生徒への影響も伴うことは否定し難い」から、本件職務命令の違反に対し、教職員に直接的な職務上ないし給与上の不利益を及ぼすものではない戒告処分をすることは、「学校の規律や秩序の保持等の見地からその相当性が基礎付けられるものであって」懲戒権者の裁量権の範囲内に属する事柄である。
A他方、不起立行為等は「個人の歴史観ないし世界観等に起因するもの」であり、「積極的な妨害等の作為ではなく、物理的に式次第の遂行を妨げるものではない」し、「式典の進行に具体的にどの程度の支障や混乱をもたらしたかは客観的な評価の困難な事柄である」から、「不起立行為等に対する懲戒において戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては、本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」であり、積極的な妨害行為のない単なる不起立行為等による処分歴のみを理由に減給以上の処分をすることは重きに失し裁量権の範囲を超える。
B減給処分を受けた本件原告1人と停職処分2人のうちの1人については、積極的な妨害行為のない単なる不起立行為等による処分歴のみを理由とするものであって、裁量権の範囲を超え違法。もう1人の停職処分は、過去に積極的な妨害行為を含む数回の非違行為による処分歴があることに鑑みれば、裁量権の逸脱濫用には当たらない。

 この判決は、本筋の憲法19条違反の問題については、《違憲でないことは先例の趣旨に徴して明らかである》という、例によっての「三行半」的判決であったが、一部の処分を違法としたことで、「行き過ぎ処分に歯止めをかけた」などとする評価もなされている。たしかに、不起立行為等に対する懲戒処分として減給以上の処分を選択することは慎重であるべきだとし、個々の処分の相当性を具体的な事情に即して検討し結論を出したことは、「不起立教員」を敵対視し排除しようと躍起になっている東京都教育委員会や石原都政に一定の歯止めをかけるという意味をもつかもしれない。あるいは、選挙で勝ったことで天狗になり、ますます聞く耳を持たなくなった橋下「維新」の暴走にも何らかブレーキをかけるものになるかもしれない。そういう意味で、この判決の意義を積極的に評価する見方はあっていいし、私もそれを否定するつもりはない。しかし、本件訴訟3件のうちの2件(減給1人、戒告168人)については、原審の東京高裁が戒告処分を含めて懲戒処分自体が行き過ぎだとして、全員について処分を取り消すという、「原告逆転勝訴」の判決を出していたのである(2011年3月10日)。最高裁は、減給の1人を除いてこの高裁判決をひっくり返したのであるから、そのかぎりで、高裁判決よりも後退した判断だったといわなければならないことになる。もっとも、停職処分の2人にかかる訴訟では、原審東京高裁がいずれも違法ではないとしていたものを(2011年3月25日判決)、最高裁は1人については違法としたのだから、こちらについては、むしろ一歩前進ということになろう。要するに、「足して2で割った」ような判決である。

 2011年3月10日判決の事件では、じつは、私は東京高裁に意見書を出し、また、証人として法廷で意見を述べた。私は、もちろん、国旗・国歌強制が憲法19条等に違反するという趣旨の意見を述べたのであるが、東京高裁の判決は、憲法判断の部分では、君が代ピアノ伴奏事件の最高裁判決(2007年2月27日)にならう形で、違憲の主張はすべて退けている。しかし、それでも、原告たちの不起立行為等が「真摯な動機」によるものであること、「日の丸」「君が代」について原告らと同様の歴史観・信条をもつ国民は少なからず存在すること、原告らには卒業式等を混乱させる意図はなく実際にも混乱したという事実は主張立証されていないこと、憲法学説や日弁連等の法律家団体においては起立斉唱等の強制は憲法19条等に違反するというのが通説的見解であること、などの点に照らせば、不起立行為等に対して懲戒処分を科すことは裁量権の逸脱濫用だ、としたのである。私としては、「ここまで言うのなら、いっそはっきり違憲だと言えよ!」と言いたいところだが、最高裁が「ピアノ判決」を見直して判例変更するという見込みはきわめて薄いというなかで、「ピアノ判決」が言及していない裁量統制論で勝負するというのは、高裁としてはぎりぎりの判断だったのだろうと思う。この判決があったからこそ、最高裁も「足して2で割る」ことができたのだと思う。そして、高裁での「ぎりぎりの判断」を引き出したのは、権力の不条理に屈してあきらめることなく"NO"を言いつづけた市民の力である。私の意見書や法廷での陳述も多少は役に立ったかもしれないと、密かに思っているが、それも、権力に"NO"をつきつける人々の声があってこその話である。

 本判決には、本件職務命令を正面から憲法19条違反とした宮川裁判官の反対意見があるほか、櫻井裁判官、金築裁判官の補足意見が付されている。同種事件についての最高裁の判断は、昨年5月末から7月にかけて集中的に出されており(2011年5月30日第2小法廷判決、6月6日第1小法廷判決、6月14日第3小法廷判決など)、いずれも原告敗訴の判決だが、第1小法廷で宮川裁判官、第3小法廷で田原裁判官がそれぞれ反対意見を書いているほか、どの判決でも何人かの裁判官が補足意見を述べている。そのほとんどは、国旗・国歌強制の行き過ぎに懸念を示す内容の意見である。それなのに、なぜ憲法19条違反と認めないのか。ここまで違憲判断に消極的にならなければならない理由は、いったい何なのか。最高裁の裁判官には、是非、自問自答してもらいたいものだと思う。




 

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