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浦部法穂の憲法時評

 

民主主義とは何か


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2012年2月23日

 大阪市で、原発稼働の賛否を問う住民投票のための条例制定を求める市民の直接請求が、請求のために必要な署名数を大きく上回る5万5千以上の署名を得て行われた。これに対し、大阪市の橋下市長は、「投票を実施する必要性は乏しい」として条例制定に反対する意思を表明した。昨年11月の市長選挙で「脱原発依存」を掲げた自分が選ばれたのだから、そこでもう市民の「脱原発依存」の意思は示されており、あらためて多額の経費をかけて住民投票を実施する必要性はない、というのが、その理由とされる。そして、関西電力の筆頭株主である大阪市として、今年6月の関西電力の株主総会で「脱原発依存」を株主提案する方針だ、ともいう。「脱原発依存」の方向で市長として行動すると言っているのだからいいだろう、というような意識も垣間見える。

 大阪府知事時代から、橋下氏は「民意」を金科玉条にしてきた。違法性も指摘されるなど物議を醸している「教育基本条例」や「職員基本条例」も、「自分は民意の支持を受けているのだから、自分に従わない職員や教員は、民意に背くものであって、公務員の資格がない」という論理で貫かれている。それほど「民意」を大事にしている橋下氏が、なぜ住民投票に反対するのか。矛盾しているように思うが、それを矛盾と感じないところに、橋下流統治の特質がある。要するに、彼にとっての「民意」とは、選挙の結果だけであって、いったん選挙で「民意」が示されたなら、「あとはみんな黙って僕のいうことをきいていればいい」というわけである。だから、個々の問題についていちいち「民意」を確かめるなんてことはムダ以外の何ものでもない、ということになる。橋下氏のそういう感覚は、彼が、選挙で選ばれたということは「ある種の白紙委任だ」と公然と語っていたところからも見てとれる。

 民主主義とは「民意」にもとづく政治である。だから、選挙で示された「民意」のもとに統治権力が構成されるのである。そして、知事や市長は直接的な「民意」の基礎づけをもつから、「民意」との距離が近く、そのため「我こそが民意の体現者だ」という橋下流の論理にも違和感を覚えにくいかもしれない。しかし、この論理は、最も重要な点を見落としている。あるいは、意識的にそれをオミットしている。その最も重要な点とは、「民意」は決して一つではなく多様だ、という点である。「民意」の多様性を承認するならば、一人の首長が多様な「民意」のすべてを「体現」できるわけがないから、「我こそが民意の体現者だ」という橋下流の論理は、成り立つ余地がない。民主主義が「民意」にもとづく政治だという場合、「民意」の多様性は当然の前提となっている。だから、選挙で示された「民意」が「民意」のすべてではないし、多数の意思だけが「民意」だというわけでもない、ということは、そこに当然のこととして含意されている。とすれば、民主主義にとっていちばん重要なことは、多様な「民意」のうちの可能な限り多くの「民意」にもとづく政治を行っていくことである。つまり、さまざまな意見の違いがあるなかで可能な限り多くの人の合意を追求し、その合意にもとづいて政治を運営していくことである。そのように考えれば、「民意」にもとづく政治を行っていくためには合意形成のプロセスが欠かせない、ということがわかるはずである。その意味では、民主主義とは合意形成のプロセスだ、と言い換えてもよいであろう。

 橋下流の「民意」の援用は、民主主義とは無縁のものである。無縁であるだけでなく、それは、独裁政治につながるものだといってよい。いみじくも、橋下氏自身が「独裁が必要だ」と語っているように。橋下「維新」は、国政への進出も視野に入れだした。1920年代にはミュンヘンの地方政党に過ぎなかったナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が、そしてせいぜい「ミュンヘンの王様」に過ぎなかったヒトラーが、1930年代に入って急速に支持を伸ばし独裁権力を獲得して世界中の人々に惨禍をもたらした歴史と、なにやら重なって見え始めた。直近の世論調査では、大阪府民・市民の7割が橋下市長を支持しているとのことである。ならば、いっそのこと、橋下徹が「大阪の王様」以上のものになる前に、大阪府民・市民が自分たちの選択の結果責任として、橋下独裁でひどい目に遭ってくれればよい、とさえ言いたくもなる。そうすれば、独裁政治の被害は大阪の外に及ばないですむであろうから。

 だが、厄介なことに、独裁の場合は民主主義よりもはるかに迅速・効率的な決定ができるから、一定の積極的な「成果」をもたらす場合がある。1933年1月にヒトラーが首相の座についたとき、ドイツ国内には600万人の失業者がいた。それが、ヒトラーの統治のもと、わずか3年で完全雇用の状態に改善されたという。第1次世界大戦の敗戦と1929年に始まる世界恐慌のために不況のどん底にあったドイツ経済は、ヒトラーの独裁政治のもとで奇蹟的な回復をみせ、人々は貧困の悲惨から抜け出すことができたのであった。ヒトラーが大衆の支持を集めることができた一つの要因は、この点にあった。合意形成のプロセスである民主主義は、手間ひまがかかるから、必ずしも迅速・効率的な決定には向かない。一方、独裁ならば、反対者は力ずくで押さえ込んでしまえばいいから、思い切った手を迅速・効率的に打つこともできる。だから、大阪でも、橋下独裁が何らか一定の積極的「成果」をあげるかもしれない。だが、それが目先よい方向に見えても、そのさらに先にあるものがいったい何なのか、私たちがそれを見極める目を養わないと、悲惨な未来に突き進むことになりかねない。

 民主主義とは合意形成のプロセスである。だから、必ずしも迅速・効率的な決定には向いていない。しかし、手間ひまかかってもこのプロセスを大事にする。——これを自覚的に意識することが重要だと思う。




 

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