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浦部法穂の憲法時評

 

「日本が壊れていっている」


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2012年4月12日

 大阪市の前市長平松邦夫氏が「大阪市が壊れていっている」と言って橋下市長の市政運営への憤りをあらわにした、という新聞記事があった(4月9日朝日新聞)。いまさら平松氏がどう言ったかなどは記事にするほどの意味があるとも思えないし、「ぶっ壊す」と叫んで当選した橋下氏が市長になったのだから、「大阪市が壊れていく」のは当然といえば当然だが、それにしても、このところの橋下徹の増長ぶりは目に余る。

 全国には報道されなかったかもしれないが、4月はじめ、大阪市営地下鉄のある助役が朝出勤後、勤務につく前に駅長室の給湯室で喫煙し、火災報知器が作動して列車4本に最大1分の遅れが出た、という出来事があった。大阪市営地下鉄では、今年に入ってから、運転士が列車内で喫煙したとか、駅の清掃業者従業員のたばこの不始末によるぼや騒ぎといった、喫煙をめぐる不祥事がつづき、市交通局はあらためて全駅禁煙とする通達を出していた。そういうなかでの助役の喫煙に、橋下市長は激怒し、この助役を懲戒免職にするよう検討を指示した。たばこ1本で懲戒免職というのは、前例もないし懲戒処分としては重すぎて違法の疑いが強いが、橋下市長は「法的に問題があるかもしれないが、司法で決着すればいい」と強気の姿勢を貫いている。

 助役の喫煙は、たしかに非難されるべき行為である。懲戒処分の対象にされてもおかしくはない。だが、免職は行き過ぎであろう。問題は、しかし、助役の喫煙行為をどう評価するかではなく、市長が、免職は行き過ぎで法的に問題があることを承知していながら、法的に問題があるなら裁判で決着をつければいいとして、あえてそれを強行しようとしていることである。こういうやり方がまかり通るなら、権力をもつ者は法には一切拘束されずに思い通りの処分や命令を発し、あとで裁判によって違法とされたら取り消せばいい、ということになる。国民の側は、どんな違法な処分や命令であっても、裁判を起こしてそこで勝つまでは、その処分や命令に従わされることになるのである。これでは、「法律による行政」という法治国家の根幹が否定されてしまうことになる。

 かりに、くだんの助役の懲戒免職処分が強行され裁判で争われることになったとしても、その裁判の決着がつく頃には橋下市長は市長の座にいない可能性が大きいし、損害賠償ということになっても賠償金を払うのは大阪市であって橋下氏個人ではないから、橋下市長は違法処分を強行しても何の責任もとらされることはない。市長としても個人としても、橋下氏には痛くもかゆくもないのである。だから、「やった者勝ち」で、橋下市長はやりたい放題にやれるわけである。権力をもつ者が「司法で決着すればいい」という論理をかざすことは、そういう意味をもっているのであり、およそ法というものの意味を否定することに等しいのである。大阪市民のなかには「けしからん公務員を懲らしめてくれた」として橋下市長に喝采を送る向きもあるようだが、裁判の結果損害賠償となったときには結局自分たちが(税金で)賠償金を払うことになるのだということ、そして、法を無視したやりたい放題が自分たちに向けられないという保証はどこにもないのだということを、是非冷静に認識してもらいたい。

 その一方、「大阪維新の会」が大阪市議会で「組合が組織ぐるみで市長選に関与していた」として組合攻撃の材料に使った、平松前市長の支援を求めるような内容の市交通労組の文書が、市交通局の非常勤職員によってねつ造されたものであったことが判明した事件では、橋下氏は、「維新の会」やこの文書を市議会で取りあげた議員には何の問題もないし組合に謝罪するつもりもまったくない、といい、「維新の会」代表としての責任も一切とろうとしていない。また、市長として、みずからも激しい組合攻撃を行ってきたが、少なくともその攻撃材料の一端がねつ造されたものであったことが明らかになった以上、それまでの対応になんらかの反省があってしかるべきなのに、橋下氏は、反省どころか、「メディアが大きく取りあげたせいで組合に濡れ衣が着せられたのだ」と、責任転嫁して平然としている。要するに、自分や「とりまき」の不祥事については一切責任を認めず、「敵」には法を無視してでも厳しく責任を問う、というのが橋下流のやり方なのである。傲慢というべきか尊大というべきか。そこまで彼を思い上がらせたのはいったい誰なのか。そんな人物やその率いる集団を支持するのは自殺行為だとわからないのであろうか。

 もっとも、「壊れていっている」のは、大阪だけではない。日本全体が「壊れていっている」ように、私には思われる。あっちでもこっちでも、言葉は悪いが「貧者の足の引っぱり合い」ばかりで、社会全体が殺伐とした空気に包まれているような気がするのである。そういう「足の引っぱり合い」をそそのかすような政治が、ここ10数年ずっと続いてきたせいだと、私は思う。そしてまた、そういう政治に無批判的に追随して「足の引っぱり合い」をさらに助長してきたメディアの責任も大きい。たとえば、社会保障や年金問題では「高齢者は得をし、若者は損している」という形で世代間の足の引っぱり合いをさせ、雇用や給与等の問題では「民間は非正規労働や賃下げで苦労しているのに、公務員は身分保障で守られ高給をむさぼっている」といった意識を植え付けて文字どおり「貧者」の足の引っぱり合いをさせ(かつて公務員は安月給の代名詞のようなものだったことを思い起こすべし)、震災「がれき」処理の問題では「がれきの受け入れを拒否するのは薄情だ」式の人情論で受け入れ反対派を糾弾し、等々である。「橋下徹なる現象」は、そういう足の引っぱり合いのなかから誕生してきたものにほかならない。しかし、こうした「貧者の足の引っぱり合い」で得をするのは「1%」の富者だけであり、まさにそのために、権力をもつ者は国民のあいだにあえて対立を作り出し足の引っぱり合いをさせているのだ、といって過言ではない。それにまんまとのせられて結局ひどい目にあうのは、「99%」の「われわれ」なのである。いい加減、足の引っぱり合いはやめたいものである。




 

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