法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

浦部法穂の憲法時評

 

生活保護と扶養義務


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2012年6月7日

 テレビにもよく出ていて高額収入を得ているはずの某芸能人の母親が生活保護を受けている、というゴシップ報道をきっかけに、生活保護に対する異常なバッシングが、またぞろメディアを賑わせている。例によって、「不正受給が横行している」、「まじめに働く者が損をする制度だ」、「不良外国人が食い物にしている」等々、いったいこの国のメディアは、なぜこうも浅薄なのか。そして、これを奇貨として、かねてより生活保護給付水準の切り下げなど生活保護制度の見直しを主張する自民党は扶養義務の強化を唱え、これに応える形で小宮山厚労相は、生活保護費の引き下げとともに「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務」を課すことも検討したい、という考えを示した。「息子が何千万円もの収入を得ていながら、その母親が生活保護を受けているなんてけしからん」という、ある意味素朴な大衆の義憤が、生活保護給付水準の引き下げや支給要件強化、つまり、より保護を受けにくくする方向への制度見直しを後押しすることとなっているのである。

 現行生活保護法(1950年制定)は、「民法に定める扶養義務者の扶養は、……保護に優先して行われるものとする」(4条2項)と定めているが、これは、旧生活保護法(1946年制定)や戦前の救護法(1929年制定)のように扶養義務者に扶養能力があるときは生活保護の受給資格がないということを意味するものではなく、「単に民法上の扶養が生活保護に優先して行われるべきだという建前を規定する」ものであって(小山進次郎『生活保護法の解釈と運用』)、実際に仕送りなど扶養援助があった場合には収入認定してその分だけ保護費を減額する、ということを意味するものである。つまり、扶養義務者の扶養は保護の要件とはされていないということである。だから、扶養義務者に十分な収入があるからといって生活保護を受けさせないとするのは、現行法上は違法な措置だということになるのである。では、なぜ扶養義務者の扶養が保護の要件とされないのか。この点、前掲の小山著『生活保護法の解釈と運用』は、次のように言っている。

 「一般に公的扶助と私法的扶養との関係については、これを関係づける方法に三つの型がある。第一の型は、私法的扶養によってカバーされる領域を公的扶助の関与外に置き、前者の履行を刑罰によって担保しようとするものである。第二の型は、私法的扶養によって扶養を受け得る筈の条件のある者に公的扶助を受ける資格を与えないものである。第三の型は、公的扶助に優先して私法的扶養が事実上行われることを期待しつつも、これを成法上の問題とすることなく、単に事実上扶養が行われたときにこれを被扶養者の収入として取り扱うものである。而して、先進国の制度は、概ねこの配列の順序で段階的に発展してきているが、旧法(引用注=1946年法)は第二の類型に、新法(引用注=1950年現行法)は第三の類型に属するものとみることができるであろう。」

 つまり、扶養義務者の扶養を保護の要件としないのが、世界的に見ても、こんにちの生活保護立法の原則となっている、ということである。そこには、封建的な家族制度(日本でいえば、戦前の「家制度」)との決別という意味が含まれていると同時に、生活困窮状態に陥ったのは、その人個人の責任というより社会の責任という面が大きく、したがって生活困窮者の扶助は社会全体で行うべきだという、現代においては普遍的な認識が反映されている。だから、もしも今回の某芸能人の事例をきっかけに、扶養義務を強化する方向に生活保護制度が変えられるようなことがあれば、それは歴史の逆行を意味する。ことは、「高収入の子どもがいるのに生活保護を受けるのはおかしい」という単純な善悪の問題にとどまらず、生活困窮者を生み出した「責任」を本質的に「私的」なものとみるかそれとも「社会的」なものとみるかという「哲学」にかかわる問題なのである。

 また、実際的な観点からみた場合、生活保護受給世帯の45%は高齢者世帯である。高齢化社会の進展に伴って、この割合はさらに増えるであろう。こうした現状のなかで、扶養義務の強化を図ることは、要するに老親を子どもが扶養しなければならないケースが多く出てくるということであり、若年層の負担をいっそう強化することを意味する。年金問題では、いま、「世代間格差」ということが盛んに言われ、若年層の負担が重くなりすぎることが問題とされている。だから年金支給年齢の引き上げや年金額の減額が必要だ、といわれてきたのではなかったのか。そういう議論の流れのなかで、若年層にさらに重い負担を課すことになる扶養義務強化という話は、いったいどこに整合性を見いだせるのだろうか。

 そしてまた、扶養義務の強化でどんなメリットがもたらされるのか。かりに、扶養義務者に十分な扶養能力がある場合には保護を与えない、というように法改正したとして、それによって国の財政がどれほど節約できるだろうか。むしろ、扶養能力の調査をきちんとやろうとすればケースワーカー等の大幅な増員が必要となるだろうから、その分の人件費のほうが大きくなるのではないか。とすれば、財政面でのメリットはまったくないことになる。それでも自民党議員などが今回の問題を大ごとのように取りあげるのは、素朴な大衆の義憤をかき立て、それを利用して生活保護制度の極小化(最終的には廃止?)を図らんがためではないのか。先に指摘した年金をめぐる議論との整合性のなさをみても、年金であれ生活保護であれ、社会保障については、議論の整合性や「哲学」はどうでもいいからとにかく削れるだけ削りたい、というのが野党自民党を含めたいまの政治の主潮流になっているように感じられてならない。

 不合理・不条理に対する怒りは正常な感覚であり大切である。日本人はもっと怒るべきだとも思う。しかし、その「怒り」を向ける先を見誤ったとき、それは「天に唾する」に等しいものとなろう。生活保護をめぐっては、発端となった某芸能人のほかに、別の芸能人の母も、そして某国会議員の姉も、やり玉に挙げられている。こういうことを次々にほじくり出し、本質的な議論はまったくないままにゴシップ報道を競い合う日本のマスコミは、ここまで低次元なものに成り下がったのかと思わずにいられない。そして、それに便乗して煽り立てる政治家も、またしかりである。




 

[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]