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浦部法穂の憲法時評

 

集団的自衛権


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2012年7月19日

 政府の「国家戦略会議」の「フロンティア分科会」が、7月6日に、集団的自衛権に関する従来の政府解釈の見直しなどを盛り込んだ報告書を野田首相に提出した。これをうけて、野田首相は、7月9日の衆議院予算委員会で、集団的自衛権の問題について「提言をふまえ、政府内の議論を詰めたい」と述べ、「見直し」に前向きな姿勢をみせた。政府は、従来、集団的自衛権について、国際法上その権利は有するが憲法9条によってその行使は禁じられている、との解釈をとってきた。しかし、とくに2001年の「9・11テロ」以後、アメリカは日本の軍事的協力をこれまで以上に求めるようになり、集団的自衛権についての政府解釈の変更などの要求を強めてきた。2007年には、ゲーツ国防長官が日米防衛相会談の席で、アメリカを狙った北朝鮮などのミサイルを日本のミサイル防衛システムで迎撃できるようにすべきだとして、集団的自衛権行使の容認を迫った。また、アメリカ議会調査局が2010年10月に作成した日米関係に関する報告は、集団的自衛権の行使を禁ずる憲法9条がより緊密な日米防衛協力の障害となっている、と述べた。こうしたアメリカ側の要求の強まりをうけて、アメリカの言うことには何でも従うべきだと思っている日本の一部政治家、マスコミ、そして無見識な「有識者」たちは、「自衛隊が公海上で米艦の防護もできない、アメリカに向けて発射された弾道ミサイルの迎撃もできない、では、日米同盟にひびが入る」、「同盟国が目の前で攻撃を受けたら助けるのがあたりまえで、それさえできないというのでは申し開きが立たない」などとして、政府の憲法解釈を変えて集団的自衛権が行使できるようにすべきだ、という声を一斉にあげはじめたのであった。

 だから、集団的自衛権に関する政府の憲法解釈の見直しという議論は、今回初めて出てきたものではない。自民党政権時代にも、たとえば安倍内閣のときや麻生内閣のときに、同様の「有識者懇談会」の報告が出されているし、それをうけて時の首相が前向きな姿勢を見せたのも今回が初めてではない。そして、今回、前記「フロンティア分科会」報告と時を同じくして、自民党は「国家安全保障基本法案(概要)」なるものをまとめ(7月6日総務会了承)、そのなかで、「我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した」場合に国連憲章に定められた自衛権を行使するとして、集団的自衛権の行使を明記した。要するに、野田首相は、ここでも、自民党がやろうとしていることと同じことをやろうとしているのである。報道では、民主党内には慎重な意見もあるので実際に「見直し」されることになるかどうかはわからない、といわれているが、無節操な民主党政権なら、何事でもないようにやってしまうのではないか。武器禁輸原則の緩和や原発再稼働や消費税引き上げのように…。そして原子力基本法に「我が国の安全保障に資することを目的として」という文言を何でもないようにさりげなく入れたように…。自民党も、政権を奪還したら前記の「安全保障基本法」を成立させる、と言っているから、政権交代前の自民党とは違って、党内に慎重論があるから(あるいは「友党」の公明党がいい顔しないから)決定は先送りするという姿勢はとらないであろう。となれば、野田首相が「やる」と言って突っ走れば、消費増税の場合と同じように、「憲法解釈の見直し」がされてしまうことになろう。いや、消費増税の場合は法律を通す必要があったが、集団的自衛権については「政府が憲法の解釈を変えればいい」だけで法律を通す必要もないから、もっと簡単な話になる。だが、それがいったいどういう意味をもつのであろうか。

 集団的自衛権の行使は憲法9条によって禁じられている、という解釈は、そもそもどこから出てきたのであろうか。それは、一言で言えば、本来違憲の自衛隊を合憲だと言いくるめるための最低限の条件だったのである。「一切の戦力を保持しない」とする憲法のもとで自衛隊という「立派な軍隊」をなぜ持つことができるのか。この問いに対する政府の答えは、こうである。@憲法9条は一切の戦争を放棄し一切の「戦力」の保持を禁じている。Aしたがって、日本が「戦力」を持つことは自衛のためといえども憲法上禁止されている。Bしかし、憲法9条は独立国家に固有の権利としての「自衛権」まで放棄したものではない。Cしたがって、この「自衛権」の行使としての必要最小限度の行動は憲法の禁ずるところではなく、そのための手段として「自衛のために必要な最小限度の実力(自衛力)」を持つことは憲法9条に違反しない。D自衛隊は「自衛のために必要な最小限度の実力」であり憲法9条が禁止する「戦力」にはあたらない。

 ここで集団的自衛権にかかわるのは、Cであり、そしてそれこそが自衛隊を合憲だとする最大の論拠となっていることがわかるであろう。憲法上認められるのは、「『自衛権』の行使としての必要最小限度の行動」だけである。自国が攻撃を受けたわけでもないのに「行動」を起こすのは「『自衛権』の行使としての必要最小限度の行動」とはいえない。自衛隊は、「必要最小限度の行動」のための手段としての「必要最小限度の実力」なのだから、それを自国ではなく他国が攻撃を受けた場合に出動させることは、当然許されない。だから、集団的自衛権の行使は憲法上認められない、という結論になるのであり、これは、上記の政府の自衛隊合憲論の核心なのである。したがって、集団的自衛権の行使を認めるということは、自衛隊合憲論を捨てるということにほかならない。つまり、自衛隊は違憲だと宣言するに等しいのである。それでも自衛隊を存続させるというのは(存続させなければ集団的自衛権を行使する手段がない)、「政府は憲法に縛られない」と言うのと同じことになる。つまり、集団的自衛権の行使を認めるかどうかという問題は、立憲主義の根幹にもかかわる問題なのであり、政府が憲法解釈を変えれば済むような簡単な問題ではないのである。

 もう一つ、じつはこれが最も根源的な問題なのであるが、そもそも憲法の規範内容は政府の解釈しだいで変えられてよいものなのか、という問題がある。集団的自衛権の問題になると、これまでも、そしていまも、「政府が憲法解釈を変えるべきだ」とか「いや、変えるべきではない」といった議論になるが、そもそも政府の解釈しだいで規範内容が変わるようなものが、はたして憲法と呼べるのであろうか。憲法とは、権力行使に枠をはめるものであって、「権力担当者に対する国民からの命令」という意味をもつものである。その憲法の規範内容が権力担当者である政府の「解釈」しだいでどうとでもこうとでもなる、という考え方は、憲法というものの存在自体を否定する考え方だといわなければならない。政府が憲法解釈を変えれば集団的自衛権の行使が可能になる、というのは、憲法というものの意味を前提にするかぎり、論理破綻以外の何ものでもない。そういう根源的な問題の指摘が、マスコミでも「論壇」でも、そして政治の舞台でも、まったくといっていいほど聞こえてこないのは、摩訶不思議である。




 

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