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浦部法穂の憲法時評

 

日中国交正常化40年


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2012年10月4日

 今年は、日中国交正常化40年の年である。9月29日がその記念の日だった。その日を、40年間で最悪の両国関係の中で迎えなければならなかったのは、残念なかぎりである。日本も中国も、どちらの政府もここまで無分別では困ったものである。問題の尖閣諸島については、40年前の「国交正常化」交渉の際、田中首相と周恩来首相の会談では「いまは触れない」ということで双方が了解し、1978年の日中平和友好条約締結時の園田外相と搶ャ平副主席の会談では搶ャ平が「我々の次の世代、また次の世代は必ず解決策をみつけるはずだ」と述べて「棚上げ」に言及したという(孫崎享『日本の国境問題』ちくま新書)。しかし、「次の世代、また次の世代」となったいま、解決策をみつけるどころか対立を激しくしているだけである。そんな状況であるだけに、40年前を思い起こし、当時の日中友好への思いをもう一度振り返ってみることが必要であろうと思う。

 1949年に中国で共産党政権の「中華人民共和国」が成立した際、日本は、アメリカなどとともに、この政権を認めず、台湾の「中華民国」政府を「中国を代表する政府」とする立場をとった。そのため、中国本土との交流は、民間レベルの細々としたものにとどまった。経済面では、日中貿易促進の動きも進められてはきたが、岸信介(1957〜1960)、佐藤栄作(1964〜1972)政権時代には、中国敵視政策をとって関係悪化を招いた(ちなみに、岸信介は、安倍晋三・自民党総裁の祖父、佐藤栄作は大叔父にあたる)。そうしたなかで、1971年7月、アメリカのニクソン大統領が中国訪問を予告する宣言を電撃的に発表、翌72年2月には実際に訪中した。この出来事は、当時、世界に大きな衝撃を与えた(71年8月の「金兌換停止」宣言とともに、「ニクソン・ショック」と呼ばれている)。1972年7月に、佐藤栄作のあとを受けて内閣総理大臣に就任した田中角栄は、このアメリカの動きにいわば「先手」を打つ形で、同年9月に自ら中国を訪問、9月29日には「日中共同声明」署名にこぎつけて国交正常化を果たした(アメリカと中国との国交樹立はカーター政権時代の1979年)。

 このときの外務大臣で「国交正常化」に尽力し「日中共同声明」に署名したのが大平正芳である。大平は1978年12月に総理大臣に就任するが、翌79年12月に首相として中国を訪問した。その際、日中両国の国民間の相互理解を深めるための言語学習の重要性に触れ、中国側の要請に応えて中国における日本語学習の進展に日本として協力することを表明した。こうして1980年に、中国教育部と日本の国際交流基金の共同事業として、北京語言学院に日本語研修センターが設置されることとなった(俗に「大平学校」と呼ばれた)。その後、中国側から、日本語研修だけでなく日本語および日本研究の高レベルな研究者養成課程(大学院修士課程)新設の要望が出され、これを受けて1985年、「大平学校」を発展継承するものとして、北京外国語学院の中に「北京日本学研究センター」が設置された。このセンターには、「大平学校」の系譜を引く言語・文学コースに加え、社会・文化コースも設けられた。

 この「北京日本学研究センター」で、私は、1992年の3月から7月まで、客員教授として「社会・文化コース」の「日本法政」の講義を担当した。当時の日本は、まだバブル経済の余韻が残っていた時期であり、一方中国は、「改革開放」路線のもと搶ャ平が「社会主義市場経済」を提唱しだした頃であった。そのため、中国でも「日本に習え」という空気は強く、学生たちの間で「日本研究」として興味・関心を集めていたのは、日本経済発展の原動力と目されていた「日本的経営」であった。「日本法政」という講義は、日本の政治や憲法について話す講義なので、学生たちにとってはどうでもいいような講義科目だったのかもしれない。私に対する質問も、政治や憲法のことより講義内容とは直接関係のない「日本的経営」についてのもののほうが多かったように思う。私はとくに「人権」に力点を置いて講義したが、「表現の自由の重要性」ということを説明したとき、一人の学生が「表現の自由より生存権のほうが重要じゃないですか」と、当時中国共産党が言っていたこととまったく同じ反応を示したことを覚えている。

 もう20年も前のことで、たいていのことは忘れてしまっているが、もう一つだけ記憶に残っていることがある。それは、滞在中に「日本語弁論大会」に招かれたときのことである。中国全土から選ばれた学生たちによる日本語の弁論大会なのだが、一人の学生がこういう話をした(細部まではもちろん覚えていないので、大筋こんな話、ということだが)。
「(公園だかどこかで)一人の老人が悲しそうな表情で座っていた。心配になって声をかけてみると、"自分は日本人だ。戦争中、日本軍の兵士として中国に来た。そうして中国の人々にひどいことをした。自分ももう先は長くないので、生きているうちに罪滅ぼしをしたいと思って慰霊のために中国の各地を訪ね歩いているのだ"と言う。そういう日本人の気持ちを大事にして友好を深めたい。」
というような内容の話である。嘘っぽい話だが、これが中国人の気持ちなんだろうとあらためて気づかされたような気がして、ずっと記憶に残っている。

 そういう気持ちを、「南京大虐殺はなかった」と言ってみたり、わざわざ「シナ」と呼んでみたりと、ことさらに傷つけるようなことを言う人間が重要な公職に就いている、国民がそういう人間を選挙で選んでいる、ということが大きな問題なのである。もちろん、そういうことを言う人間は、日本人のなかのごく一部であるし、日本の政治家のなかでもやはり一部の人間に過ぎない。しかし、知事とか市長とか大臣といった地位にある政治家がそういうことを言えば、国民が選んだ「指導者」(という言い方は、私は好きでないし、不適切だと思っているが)だから、ということで、日本国民の多くがそう思っていると受け止められてしまう。だから、私たちとして覚悟を決めるべきは、まずもって、そういう人間は絶対に選ばないことである。中国側にも、たしかに、政府にも国民にも、問題はある。しかし、相手にも問題があるのだからこっちだけ改める必要はない、という態度をとることは、「大人」の対応ではない。日本のほうが「上」だと考えている人ほどそういう態度に出ることが多いが、相手に問題があろうともまずこっちから改めるべきは改めてこそ、本当の意味で「上」だと言えるのではないか。私たちが、「民主主義先進国」としての誇りをもつかぎり、「相手も悪いんだから」などということは言ってはならないし、そういうことを公然と言って日本を貶めるような政治家やマスコミは国民の力で淘汰しなければならない。

 田中角栄とか大平正芳という政治家は、いろいろ問題のあることもした。田中の「ロッキード事件」はその「悪行」の最たるものである。だが、40年前、政権与党の自民党内には「反共」の立場から「親台湾派」が圧倒的に多かったなかで「日中国交正常化」を成し遂げたように、大局的な見地はもっていた。そういう政治家がほとんどまったく見当たらない今からすると、彼らが非常に優れた政治家だったようにみえてしまう。なんとも寂しい現実である。

 

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