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浦部法穂の憲法時評

 

「憲法の言葉」シリーズ@「憲法」


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2012年11月5日

 『「憲法の言葉」シリーズ』と銘打ったものの、「シリーズ」といえるほど続くかどうか心許ないが、とりあえず今回は、まず、「憲法」という言葉を取りあげてみたい。

 こんにち、憲法といえば、私たちは、たとえば「日本国憲法」のような、国の基本法・根本法を意味すると考えるであろう。この「憲法時評」が対象としている「憲法」も、そういう意味のものである。こういう意味の「憲法」という言葉は、英語(仏語も同じ)のconstitutionの訳語であり、明治期以後の用法である。当初、constitutionという語にはさまざまな訳語があてられ、「国憲」、「国制」、「朝綱」、「根本律法」、「律例」などと訳されていた。Constitutionに「憲法」という語をあてたのは、1873年の林正明訳「合衆国憲法」や同年の箕作麟c訳「仏蘭西法律書憲法」が最初だといわれている。以後、1880年代には「憲法」という訳語が定着し、こんにちの用法となった。

 「憲法」という言葉じたいは、古くから日本語として使われていたもので、聖徳太子の「一七条の憲法」(604年)は、中身はともかく名前は誰もが知っていよう。この「一七条の憲法」は、官吏や貴族が守るべき道徳的な訓戒を書いたもので、「憲法」とはいっても、「日本国憲法」などという場合の「憲法」とはちがって、単に「おきて」、「きまり」といった意味のものである。このように、もともと「憲法」という言葉は、「おきて」、「きまり」、などという意味で使われてきたもので、また、「賞罰を憲法にする」などの形(形容動詞形)で「公正」、「公平」といった意味でも使われた(『広辞苑』、『日本国語大辞典』)。漢字の意味からいえば、「憲」も「法」も、ともに「のり」、つまり「おきて」とか「きまり」という意味のものであり、原義的には、「憲」は目や心の行動を押さえる枠のことであり、「法」は外からはめられた生活の枠のことだという(『漢字源』)。「憲法」はそれを重ねた言葉だから、「人の行動や生活に対してはめられる枠」という意味での「おきて」、「きまり」を表す言葉であった。それをconstitutionの訳語としてあてたわけである。

 一方、英語のconstitutionという言葉は、constituteの名詞形で、constituteはラテン語のconstitutus〈構成した〉に由来する。Constituteは、con〈一緒に〉+stitute〈組み立てる〉で、〈ともに成り立たせる〉という意味になり、「構成する」、「組織する」などの意味をもつこととなるのである。だから、constitutionは、原義的には〈ともに成り立たせているもの〉という意味で、「構成、組織、構造」、あるいは「組成」(物質を成り立たせているもの)、「体質」(人の体を成り立たせているもの)などといった意味をもつ。したがって、たとえば Constitution of the United States(「アメリカ合衆国憲法」)を原義的に直訳すれば「合衆国の組織・構成」などといった具合になる。そして、そこには、con・stituteつまり〈みんなで一緒に(合衆国を)組み立てた〉という意味合いが含まれている。この、みんなで一緒に組み立てた国の組織・構成を文書の形できちんと定めたのが、アメリカ合衆国憲法をはじめとする近代の成文憲法典である。

 こうしたConstitutionつまり〈みんなで一緒に組み立てた国の組織・構成〉という観念の背後には、社会契約説があるように思う。社会契約説は、平等な個人間の自由意思にもとづく契約によって社会・国家は成立する、と考えるから、国家の基本的な組織・構成は、まさにcon〈みんなで一緒に〉stitute〈組み立て〉されなければならない。だからこそ、それはConstitutionなのである。それは、国家を構成するすべての人(国民)の意思の表明であって、国家の権力行使は、こうして表明された国民意思のもとでのみ、そしてその範囲内でのみ、認められることになる。つまり、すべての国家権力作用は憲法(Constitution)に拘束される、ということである。こうしてみると、Constitutionという観念自体の中に、国家権力の統制・制限という意味合いが含まれていることがわかる。憲法によって国家権力を制限するという考え方(日本語では「立憲主義」といわれるが)をconstitutionalismというゆえんである。

 これに対して、日本語の「憲法」という言葉は、先ほども述べたように、もともとは単に「おきて」、「きまり」といった意味の言葉であり、しかもそれは、外からはめられた枠としての「おきて」、「きまり」である。そこには、Constitutionという言葉がもっている〈みんなで一緒に組み立てた〉という意味合いは含まれていない。日本でconstitutionalism=「立憲主義」というものが十分に理解されていないのは、そのあたりのことも一つの要因となっているのではないかと思う。本来憲法のもとでのみその地位や権限が認められているはずの権力担当者(国会議員や大臣や自治体の首長等々)が平気で憲法を否定するような発言をするのも、憲法を、国民意思の表明としてみずからの地位・権限の源泉になるものだと認識せずに、むしろ逆に自分の地位・権限に対して「外からはめられた枠」としてとらえているからだろう。あるいはまた、「政府が憲法解釈を変更すれば集団的自衛権の行使も可能だ」というような、立憲主義の観点からは完全に倒錯した議論が、あたりまえのごとくに語られるのも、同様である。

 日本で「立憲主義」というものに対する理解が十分でないことの要因は、いくつものことが考えられよう。が、Constitutionと「憲法」という言葉の違いが、なんらかの程度影響しているとは言えるのではなかろうか。言葉の観点からこうした問題にアプローチしてみるのも、また別の興味をかき立ててくれるのではないかと思う。



 

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