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浦部法穂の憲法時評

 

「憲法の言葉」シリーズA「公共」または「公」


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年3月7日

 憲法12条は、憲法が保障する自由及び権利について、国民はこれを「公共の福祉」のために利用する責任を負う、というように規定している。この「公共の福祉」という言葉を、自民党の改憲草案(2012年4月27日付)は「公益および公の秩序」と言い換えようという。13条についても29条についても、やはり同様である。なぜか22条については現行の「公共の福祉に反しない限り」という言葉を削って無条件的保障の形にしているが、その代わり(?) 21条の表現の自由のところに「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」とする規定を付け加えている。
 
 さて、現行憲法の「公共の福祉」という言葉は、憲法上の自由や権利を制限する根拠とされてきたが、これについて、国連の規約人権委員会はこれまで再三にわたり、日本政府に対して、そのようなあいまいで抽象的な規定による人権制限は国際人権規約に適合しないという趣旨の勧告をしている。自民党草案はこの「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」に置き換えようというのであるが、どちらにせよあいまいで抽象的であることに変わりはない。だから、大した違いはないと思われるかもしれない。しかし、そこには、言葉の「ニュアンス」上、かなり重要な違いがある。「ニュアンス」というと、人々の感じ方の問題だから、厳密さが要求される法解釈になじまない言い方のように聞こえるかもしれないが、法律上の文言の解釈において言葉の「ニュアンス」は、ときに決定的な意味をもつ。

 「公共の福祉」という言葉と「公益」とか「公の秩序」という言葉にどういう違いがあるかを考える前提として、まず、日本語の「公」とか「公共」という言葉の意味合いを考えてみよう。日本語の「公」とか「公共」は、英語でいうと「public」である。だが、この日本語と英語は、厳密に同じ意味ではない。たとえば、次の二つの文章を比べてみよう。これは、国際人権規約自由権規約第18条の英語の正文とその日本語訳(日本政府訳)である。

“Freedom to manifest one's religion or beliefs may be subject only to such limitations as are prescribed by law and are necessary to protect public safety, order, health, or morals or the fundamental rights and freedoms of others.”

「宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。」

 下線部のところに注目してもらいたい。英語では「public」という一つの言葉が、日本語に訳されるときには、safety(安全)に対しては「公共」、order(秩序)に対しては「公(おおやけ)」、health, morals(健康、道徳)に対しては「公衆」というように、別の言葉が当てられている。これはつまり、英語の「public」と日本語の「公」とか「公共」という言葉は完全に一致する言葉ではない、ということを意味している。英語では「public」という一つの概念であらわされるものが、日本語では「公(おおやけ)」、「公共」、「公衆」というように別個の概念に分けられるのである。

英語の「public」という言葉は、要するに「all people」、つまり、「みんな」という意味である。たとえば英語でいう「public house」は、日本語の感覚でいうと「公営住宅」のことかと思うかもしれないが、そうではない。パブ、つまり大衆酒場である。「みんな」が集まってお酒を飲みながら話をするところ、という意味で「public house」なのである。

 「公」という字は訓読みすると「おおやけ」と読まれる。訓読みというふうにいっているが、じつは、「公」は中国語で「おおやけ」は日本語だと考えたほうがわかりやすい。中国語の「公」という概念に日本語の「おおやけ」という言葉を当てたのであるが、中国語の「公」と日本語の「おおやけ」のあいだにも、やはり意味のずれがある。中国の街のいたるところに、「公司」という看板がある。「公司」は会社のことである。日本語的感覚でいうと「公」の字が付いているから国有企業?と思いがちだが、そうではない。私企業であっても「公司」なのである。もともと、中国語の「公」という言葉は、共同体における配分の「公平」とか「公正」というような意味をもった言葉で、「私」の対概念である。中国語の「私」は、たとえば「私利私欲」などという言葉があるように、自己中心、利己性という「反倫理的」な意味合いの強い概念で、それに対し「公」は、共同体全員の「公平」「公正」を図るという倫理性を帯びた概念だとされる。

 これに対し、日本語の「おおやけ」は、「大宅」と書かれることもあるように、もともとは「大きな家」という意味だといわれる。この「大きな家」というのは、共同体の中の中核的な施設、つまり、みんなのために何かを蓄えておくとか、あるいはみんなでそこに集まるとか、といった施設のことで、その「おおやけ」を管理する者が共同体の長として権力をもつこととなった。「おおやけ」は、共同体全員の共同施設であると同時に、共同体の長に属するものとして権力そのものを意味するものとなるわけである。そして、やがて、朝廷による支配が確立していく段階で、「おおやけ」は朝廷そのものを指す言葉として使われるようになり、天皇を頂点とする権力機構としての「おおやけ」が形成されていくことになる。その「おおやけ」は「わたくし」の入り込むことのできない領域であり、「わたくし」に優位する権力としての「おおやけ」というものが観念されることになるのである。

 こんにち語られる日本語の「公」という言葉は、以上の三つの意味合い、つまり、英語の「public」の「みんな」という意味合い、中国語の「公」の倫理性をもった意味合い、そして日本語の「おおやけ」の「権力性」という意味合いが、渾然一体となった形のものとなっている。だから、それぞれの意味合いに応じて言葉の使い分けが行われ、英語の「public」的なニュアンスでは「公共」とか「公衆」などという言葉、中国語の「公」的なニュアンスでは「公平」、「公正」などの言葉、日本語の「おおやけ」のニュアンスの場合には「公(おおやけ)」をそのまま使う、という傾向がある。ただ、その場合にも、三つの意味合いが渾然一体となっているため、たとえば英語の「public」的ニュアンスで語るときにも、そこには「みんな」という意味だけでなく、中国語的な倫理的意味も、日本語的な権力性という意味も、同時に込められることになる。したがって、たとえば「公共の福祉」も、「みんなの福祉」という意味にとどまらず、そこに「権力性」が当然のように入り込み、権力側の利益が「公共の福祉」の内容として認められるのは当然のこととされる。そして、日本語の「おおやけ」は「わたくし」が入り込むことの許されない「わたくし」に優位するものであるから、「わたくし」の権利は「おおやけ」の利益よりも当然一段下に置かれることになる。しかも、そこには「公」の中国語的な意味合いも入り込むから、それが倫理的にも正しいことだ、とするニュアンスさえ込められることになる。

 その「公共の福祉」を「公益および公の秩序」に変えるということは、「みんなの」というニュアンス(「public」のニュアンス)をより後退させ、「権力性」のニュアンス(「おおやけ」のニュアンス)をさらに強く前面に出す、ということを意味する。だから、これは単に言葉の言い換えにとどまらず、権力側の都合や利益による自由・権利の制限をこれまで以上に認めやすくする方向への変更となるのである。自民党の改憲案には、そういう重大な問題点も含まれているということである。言葉一つであっても、その変更がどういう意味をもつか、敏感になる必要があろう。



 

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