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浦部法穂の憲法時評

 

96条の改正


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年3月21日

 憲法96条の改正という動きが、じわじわと本格化してきたようである。国会による憲法改正案の発議の要件を、衆参各議院の総議員の「3分の2」から「2分の1」に緩和しようというのである。憲法改正国民投票法が施行されたとき(2010年5月)から、自民党は、まず96条改正を先行させるという方針を表明していたが、今回は、自民党だけでなく「日本維新の会」や「みんなの党」も96条の改正に賛成する意向を示しているので、夏の参議院選の結果次第では、「3分の2」を「2分の1」に緩和する96条改正が現実化する可能性も大きい。もちろん、これも当然国民投票の対象になるから、かりに国会がこのような96条改正案を提案してきても国民投票で否決すればそれまでなのだが、「3分の2」を「2分の1」にすることにどんな問題があるのかということが、必ずしも多くの国民に伝わっていないように思う。そういう現状のなかでは、「憲法について国民に議論してもらうきっかけは多い方がいい。たった3分の1の議員の反対でそういうきっかけすら作れないというのは問題だ」という、安倍首相はじめ96条改正を叫ぶ政治家たちの言い分がもっともなもののように聞こえてしまうだろう。私は、すでに3年前のこの欄で、自民党のいう96条改正論の問題点について書いたが(2010年5月6日付「憲法改正の作法」 )、96条改正が現実化しかねない状況にあるいま、その時との重複をいとわず、もう一度、この問題を取りあげてみたい。

 96条の「3分の2」を「2分の1」に変えるという憲法改正の何が問題か。それは、なによりも、国会がそういうことを言い出すこと、まして内閣総理大臣がそれを言い出すことは、筋違いであり、心得違いも甚だしい、ということである。そもそも憲法は、国民から権力担当者に向けられた指示・命令である。憲法制定権は国民にあり、そして改正権も当然国民にある。この場合、その権限が「国民にある」ということから、「したがって、国民の代表である国会議員あるいは国民代表機関である国会が、その権限を行使できる」となりそうであるが、憲法に関するかぎりそうはならない。憲法制定権や改正権が国民にあるというのは、文字どおり「国民」にあるのであって「国民の代表」にあるわけではないのである。なぜなら、「国民の代表」は、権力担当者として、憲法に示された国民からの指示・命令を受ける立場にある者だからである。指示・命令を受ける側がその指示・命令の内容を勝手に変えることができるというのでは、指示・命令の意味がなくなる。したがって、「国民の代表」といえども、「国民」に代わって憲法制定権はもちろん改正権を行使することは、許されないのである。「国民の代表」に認められているのは、憲法改正案の発議だけである。まして、直接的には「国民の代表」ないし「国民代表機関」と位置づけられていない内閣総理大臣ないし内閣には、そもそも憲法改正について議論する権限すらないはずである。

 国会には憲法改正権そのものはないとしても憲法改正案の発議権があるのだから、憲法改正が必要だと国会が判断したなら改正案を発議できる、というふうに考えられるかもしれない。そう考えれば、96条の「3分の2」を「2分の1」に変える必要があると国会が判断したなら、それを国民に提案して賛否を問うことに何の問題があるのだ、ということにもなろう。一見、至極当然の議論のようにみえる。だが、これも、憲法は国民から権力担当者に向けられた指示・命令であるという、憲法の原点に立ち返って考えれば、指示・命令を受ける側の国会議員あるいは国会が、その指示・命令は自分たちにとって都合が悪いから変えようなどと言い出すのは、道理に合わない、ということがわかるだろう。国会に発議権があるといっても、それは、国会が憲法改正を主導できるということを意味しないのである。国民の側から、現行のままではうまくいかなくなったからここをこう変えようという具体的な声が高まったときに、それを受けて国会議員たちが改正案を議論し発議する、というのが本来の筋である。国民の側から具体的な憲法改正の声も高まってきていないのに、国会が「憲法について議論してもらうきっかけを作る」ために改正案を発議するなどというのは、まったくの筋違いである。「憲法について国民に議論してもらうきっかけを多くする」ために96条の発議要件を2分の1に緩和するという96条改憲論は、そういう意味で筋違いであり、国会議員や、まして内閣総理大臣がそういうことを言うのは、心得違いも甚だしい。

 憲法の改正ということは、問題によって程度の大小はあれ、この国の基本的な枠組みや進むべき道に直接的にかかわることである。とすれば、可能なかぎり多くの国民が賛成できるような改正であることが望ましい。政党や政治団体として憲法改正を唱えるのは自由であるが、改憲をめざすのであれば、可能なかぎり多くの賛成を得られるように努力するというのがまっとうな姿勢である。96条の「3分の2」を「2分の1」に変えるというのは、可能なかぎり多くの賛成を得ることを放棄して、より少ない賛成でも憲法改正が成立しやすくなるようにしようというということであり、とてもまっとうな姿勢とはいえない。考え方の出発点から間違っているのである。

 憲法改正国民投票法は、結局、最低投票率の規定を置かなかった。つまり、国民投票の投票率がどんなに低くてもその過半数の賛成で憲法改正は成立するわけである。たとえば、投票率が30%程度でも国民投票は有効であり、その過半数の賛成があればいいということだから、この場合はわずか15%程度の有権者の賛成で憲法改正が成立してしまうことになる。そのような少数の賛成での憲法改正は決して望ましいものではなく、改正憲法の正当性にも疑問がつくことになろう。だから、国民投票法じたいに問題があるのだが、それをそのままにして、さらに発議の要件も緩和するということになれば、少数の賛成での改憲成立という事態は、いっそう生じやすくなるであろう。96条改正論は、疑いなく、まさにそれを狙っているわけである。多数の賛成を得ようとするのでなく少数の賛成でも改憲できるようにしようという、何とも性根の腐った発想である。



 

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