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浦部法穂の憲法時評

 

憲法を国民の手から奪い取る96条「改正」


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年4月22日

 憲法96条の「改正」に向けて、安倍政権はどうやら本腰を入れてきたようである。「日本維新の会」などの右翼勢力がこれに同調する構えをみせていることが、安倍首相をいっそう前のめりにさせている。96条「改正」の問題点については、私はこの欄で、つい先月にも書いたし3年前にも書いている。また、このサイトの「改憲を問う!」ページに掲載した当研究所の見解でも、96条「改正」問題に触れている。だから、もう言い尽くしたことで、またまたこの問題を取りあげても、これまでに言ってきたことの繰り返しになるだけである。しかし、あえて繰り返そうと思う。いや、この重大な問題が広く人々に認識されるまで、何度でも繰り返さなければならないと思う。安倍首相は、「憲法を国民の手に取り戻す」ために96条を「改正」すべきだ、と主張する。しかし、この手の耳あたりの良い言葉にだまされてはいけない。国会による憲法改正案の発議の要件を、衆参両院それぞれ総議員の「3分の2以上」から「過半数」に緩めようという96条「改正」は、決して「憲法を国民の手に取り戻す」ものではなく、まったく逆に「憲法を国民の手から奪い取る」ものなのだ。

 憲法改正案の発議要件を総議員の「3分の2以上」から「過半数」に緩めることは、実際には何を意味することになるか。それは、ズバリ、政権与党だけで発議できる、ということである。衆参でいわゆる「ねじれ」がある場合には一部野党を取り込む必要も出てくるが、国会の多数派が内閣を組織する議院内閣制のもとでは、基本的に、政権与党は国会の「過半数」を占めているからである。そして、政権与党だけで改憲発議ができるということは、政権にとって都合の良いように憲法を変えることが一層容易になる、ということを意味する。政権にとって都合の良いように憲法を変えることが容易になれば、憲法は、もはや、権力に対する統制規範としての意味を失う。憲法による縛りがじゃまだと思えば、政権側はいつでも改憲発議をしてそれを通しさえすればいいのだから。そもそも憲法は、権力担当者に対する国民からの指示・命令である。その指示・命令の内容を権力担当者が自分たちの都合の良いように変えられるというのでは、国民がどんな指示・命令をしても、それはまったく無意味なものとなる。つまりは、国民が権力担当者に対して指示・命令することの意味を奪ってしまうものであり、これはすなわち、政権が「憲法を国民の手から奪い取る」ことにほかならないのである。

 もっとも、これに対しては、「国民投票があるのだから、過半数に緩めたからといって、直ちに政権にとって都合の良いように憲法を変えられるということにはならないだろう」という反論がありえよう。もちろんそのとおりで、いくら国会が「過半数」をもって改憲発議をしてきても、国民投票でそれを否決すれば改憲は成立しない。だから、国民がしっかり権力を監視し、権力側に都合の良いような改憲は許さないという固い意思をもっていれば、国会による発議要件を「過半数」に緩めることが直ちに政権にとって都合の良いような改憲を可能にし「憲法を国民の手から奪い取る」ことになるというわけのものではない、といえる。私としても、そうあることを期待したい。しかし現実問題として、すべての国民がそのような「固い意思」をもっていると想定することはできないし、それを期待することにも無理がある。とくに、権力をもっている者は、自分たちに都合の良い情報を発信することに困難はなく、情報操作を通じた世論誘導も容易にできる。そのうえ、こんにちの日本のマスコミは、権力に迎合するしか能がないか、そうでなくてもせいぜい控えめな権力批判しかできない臆病者ばかりだから、政権にとって都合の良いような改憲発議がされても、それを徹底的に批判することはせず、政権側の言い分ももっともだというような報道ばかりを垂れ流すであろう。そういう状況の中では、改憲発議がされて権力側が大々的な改憲キャンペーンを張ったら、それに抗してなおも「固い意思」を貫くことができる国民は、きわめて数が限られることにならざるをえない。このような事情に頬被りして国民投票を言い訳に発議要件の「緩和」を正当化するのは、いかにも不誠実な議論である。実際、安倍首相などが96条「改正」に突き進もうとしているのは、国会さえ通せば国民投票は何とでもなると考えているからであろう。

 96条の「3分の2以上」を「過半数」にすべきだとする理由として、安倍首相は「国民の多数が憲法を変えるべきだと言っているのに、わずか3分の1の議員が反対すれば発議すらできないというのはおかしいではないか」といった趣旨のことを言っている。たしかに、新聞等の世論調査では、「憲法を変えるべきだ」とか「憲法を変えたほうがいい」と答える人の割合は50数パーセントという数字が出ている。安倍首相の前記言い分も、こういう数字を根拠にしているのであろう。だが、この数字はまったくミス・リーディングであり、意味をもたない数字である。「憲法を変えたほうがいい」と考えている人も、具体的にどこをどう変えたほうがいいと考えるかはさまざまであり、それぞれにその意味が違う。たとえば、9条を変えて軍事力の保持を明記すべきだ、という意見と、いまの憲法に明記されていない権利を加えるために憲法を改正すべきだ、という意見を一緒くたにして、両者同じ意見だと言ったら、誰でも「それはおかしい」と言うであろう。50数パーセントという数字は、そういう一緒くたにできないはずの意見を同じ意見としてくくった、誰でも「おかしい」と言うはずの数字なのである。それをあたかも意味のある一つの数字として報ずるマスコミもマスコミだが、それを根拠に「国民の多数が憲法を変えるべきだと言っている」と、我が意を得たりとばかりにはしゃぐ首相もどうかしている。

 国民のあいだで「改憲」意見がどれほどに高まっているのかを、「改憲」論議の焦点であり続けてきた9条の問題に即してみてみれば、最近の各新聞等の世論調査で9条を変えるべきだ・変えたほうがいいと答えた人の割合は、30数パーセント程度である。つまり、有権者の3分の1程度である。わずか3分の1の国民しか変えるべきだと言っていないのに国会が「改憲」発議するというのは、安倍首相が言うのと逆の意味でおかしなことではないのか。また、いま「焦点」になっている96条の「改正」についても、世論調査では、「3分の2以上」を「過半数」に変えることに反対と答えた人の割合のほうが多い(各社だいたい、賛成41〜42%、反対46〜47%程度)。そのほかの問題についても、それぞれについて憲法を変えるべきだ・変えたほうがいいと答えた人の割合は30パーセント以下である。要するに、国民の多数は具体的に憲法を変えるべきだ・変えたほうがいいとは考えていないのである。それなのに政権側から「改憲」を仕掛ける、それを容易にするために発議要件を「過半数」に緩める、というのは、政権による国民の憲法改正権の簒奪である。この意味でもまた、安倍政権が唱える96条「改正」は、「憲法を国民の手から奪い取る」企みだといわなければならない。



 

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