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浦部法穂の憲法時評

 

地震予知


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年6月6日

 先月末、南海トラフ巨大地震の対策を検討していた内閣府の専門家会議(ワーキンググループ)が、現状では地震予知は困難であることを認め、「事前防災」や発生時対応の「備え」等の重要性を指摘する最終報告書をまとめた(5月28日)。私の素人的感覚からは、いまさらの感もするが、長年にわたり「東海地震に限っては予知可能だ」としてとられてきた、予知を前提とした(つまり東海地震だけを特別扱いする)地震対策法制(1978年制定の大規模地震対策特別措置法)の抜本的な変更を迫る内容のものだといえる。

 大規模地震対策特別措置法(大震法)は、1970年代なかばに、駿河湾を震源とする東海地震が明日にも起きる可能性がある、という学説が出され、観測網を整備し大地震の予兆である「前兆すべり」をとらえることでその発生を予知できる、という考え方にもとづいて作られた。ここで「予知」とは、地震の直前から数日前に発生を察知することで、中・長期の発生確率を示す「予測」とは区別される。たとえば「どこそこ付近を震源とするM7以上の地震が48時間以内に発生する」といったようなものである。そういう「予知」が本当に可能ならば、住民の避難その他の対策もとれるだろうから、大地震が発生しても被害を大きく減ずることができるだろう。そして、現在の科学で東海地震だけは唯一そういう「予知」が可能な地震だ、ということで、この地域での観測態勢を強化し、「予知」がなされたときにとるべき対応を定める大震法が制定されたわけである。

 それによれば、この地域に設置されたひずみ計などで異常な地殻変動を検知し、地震学者6人で構成される「判定会」がこれを東海地震の前兆だと判断すると、気象庁長官の報告に基づき首相が「警戒宣言」を発表する。そして、「地震防災対策強化地域」に指定された静岡県全域や名古屋市等を含む1都7県157市町村では、危険地域からの住民避難のほか、東海道新幹線をはじめ鉄道の全面ストップ、高速道や一般道でも域内への進入制限などの交通規制がとられることとなる。銀行・百貨店・ショッピングモール・劇場などは営業停止となり、病院は外来診療を中止し、学校は授業を打ち切り閉鎖される。

 私は、以前から、この大震法の規定は実際にはまったく使い物にならないだろうと思っていた。というのは、「警戒宣言」に伴う上記のような措置は、「予知」が100%確実なものでないかぎり発動できない(したがって「警戒宣言」が出せない=「判定会」は「警戒宣言」につながるような判定を出せない)と思われるからである。たとえば、異常な地殻変動が検知され数日内に大地震発生の可能性があるとして「警戒宣言」が出されたとしよう。しかし、その「数日」が過ぎても地震が来なかったらどうするのか。大震法には地震発生の恐れがなくなったら「警戒宣言」を解くということも規定されているが、地震発生の恐れというのは、当初の「数日」が過ぎればなくなったことになるという性質のものではないから、下手をすれば、1週間も2週間も、何もないままに、住民は避難生活を強いられ、新幹線は止まり、高速道も通行できず、病院も学校も休み、銀行や百貨店等は休業、ということになる可能性もある。そうして、「我慢の限界」に達した人々の怒りに押され「警戒宣言」を解除したら、その翌日に大地震発生、などという最悪のシナリオさえ想定しなければならない。

 そういう意味で、「予知」を前提とした大地震対策というのは、100%確実に「予知」できるのでないかぎり、そもそも無意味なものというべきではないかと思うのである。自然相手の話に100%はありえないから、「東海地震は唯一予知可能な地震だ」というような看板は、もう完全に下ろすべきだろう。「明日にも起きる」と言われてから40年近く、その間に、私たちは、東海地震ではなく、阪神・淡路大震災や東日本大震災などの大きな地震災害を経験することになってしまった。「予知」を前提に東海地震に関心を集中してきたことによって、それ以外の場所で起きうる大地震への関心を希薄化したというようなことが、はたしてなかったかどうか、いまあらためて検証されるべきではなかろうか。今回のワーキンググループ報告書は、いまさらではあるが、このことを公式に表明したものとして受け止めるべきものだと思う。

 地震研究の進展によって確度の高い予知や予測が可能となっても、それをどう生かすかについては、人文・社会分野を含めた多様な学問分野の協働が不可欠である。そのためには、地震研究に携わる人も、少なくとも人文・社会分野の助けを借りなければならない問題があるということを具体的に認識できる程度には、人文・社会分野への関心を持つことが求められよう。これは地震研究だけでなく自然科学全般について言えることだと思うが、自然科学の知見や技術は、ある面で人間や社会にプラスになっても、反面「副作用」をもたらすという場合がある。たとえば、医学や生命科学の発展によって、人は一層長生きできるようになった。それは大変良いことである。だが、それは同時に、高齢者の増加=「高齢化社会」を意味する。そういう「高齢化社会」をどう運営していくかという社会マネージメントの設計図がないままに医学や生命科学だけがどんどん先に走っていったら、社会はいったいどうなるだろうか。最近はいろいろな分野で「先端研究」ということが言われるが、「先端研究」に携わる人は、その研究が人間や社会にどのような意味をもつかということを常に意識して研究を進める必要があると思う。

 多くの研究者は、そういう問題意識を自覚的に持っている。私は、大学在職中、理・工・医学部など自然科学系の教授たちがほとんど口をそろえて、学生に対する人文・社会系教養教育の必要性を語るのを聞いている。しかし、それを有効な形で実行するには、いまの日本の大学の教養教育の枠組みは、あまりに貧弱である。「先端研究」にばかり人とお金をつぎ込んでみても、教養教育あるいは人文・社会系を含む基礎研究をないがしろにしたのでは、良い社会も私たちの幸せもやってこないだろう。地震予知が可能かどうかという話で、私は、こんなことも考えさせられたのであった。



 

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