法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

浦部法穂の憲法時評

 

「国」・「国家」という言葉がやたら出てくる自民党「改憲案」


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年6月20日

 自民党は、今度の参議院選挙で、昨年発表した「改憲案」を公約の中に掲げるという。その自民党「改憲案」を眺めていて、きわめて特徴的だと思った点がある。それは、「国」とか「国家」という言葉が、現憲法に比べてやたら多く出てくることである。ためしに、その数を数えてみた(「わが国」とか「日本国」という言い方も含む)。その結果(もしかしたら漏れがあるかもしれないが)、現憲法では「国」とか「国家」という言葉が使われているのは全部で15箇所であるが、自民党「改憲案」では35箇所にのぼる。まず、「前文」からして、自民党「改憲案」は「国」や「国家」のオン・パレードである。現憲法の「前文」には「国」や「国家」という言葉は3回しか出てこないが、自民党「改憲案」の「前文」は現憲法の「前文」の半分足らずの文章なのに、そこに7回も「国」や「国家」という言葉が出てくるのである。

 日本国憲法「前文」では、第1項で「わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し」という文脈の中で、第3項で「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」という文脈の中で、そして最後に「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」という文脈の中で、「わが国」、「国家」という言葉を使っている。このうち第3項の「国家」は、すべての国を指しているのであって、日本のことをいう文脈の中でその言葉が使われているわけではない。そういう意味で言えば、日本国憲法「前文」で、日本に関して「国」とか「国家」という言葉が出てくるのは2回だけだとも言える。

 これに対し、自民党「改憲案」の「前文」は、まず、書き出しからして「日本国は」で始まる。そして、それは「天皇を戴く国家」だという。第2項も主語は「わが国」である。第3項は「日本国民は」で始まるが、その国民が何をするのかといえば、「と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」、「互いに助け合って国家を形成する」というのである。そして第4項も「我々」を主語としながら、その述語は「を成長させる」である。そして最後の第5項は、「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」となっている。つまり、すべては「国」のため、というわけである。主体は「国家」であって、国民は「国家」のために何かをすべき存在、という位置づけになっているのである。憲法の目的も、国民の権利・自由や平和な生活を守ることにあるのではなく、「伝統」と「国家」を「末永く子孫に継承する」ことにあるのだという。

 日本国憲法の「前文」は、すべて、「日本国民」(またはそれを指す代名詞としての「われら」)を主語としている。その述語にも「国のためにどうこう」という記述は一切ない。それは、日本国憲法が、国民を主体とし国民の権利・自由や平和な生活を守るためのものとして作られているからである。自民党「改憲案」は、これとは真逆である。「国家」を主体とし「国家」の「継承」を目的とするものとして書かれたものなのである。これをいったい「憲法」と呼べるのだろうか。少なくとも、近代的な立憲主義(Constitutionalism)に基づく憲法(Constitution)とは、明らかに異質なものというべきであろう。こんにち私たちが「憲法」と呼んでいるものはConstitutionのことである、ということを前提にするかぎり(この点については、昨年11月5日付の本欄「『憲法の言葉シリーズ』@『憲法』」を参照していただきたい)、自民党「改憲案」は、その「前文」だけからしても、もはや「憲法」とは呼べないものだといわなければなるまい。だから、これは「改憲案」ではなく、すでに多くの人が言っているとおり、「壊憲案」なのである。それも、およそ憲法というものじたいを壊すものだという意味で。

 それにしても、この自民党「改憲案」を書いた人たちは、「国」とか「国家」というものをどうとらえているのだろう。なかでもわけがわからないのが、同「改憲案」第9条の3「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し・・・」という一文である。第25条の2でも、環境保全に関して「国は、国民と協力して・・・・保全に努めなければならない」と書かれている。「国」と「国民」が協力するとは、いったいどういうことなのか。「協力」というからには、両者は別個の存在だということになる。とすると、「国」には「国民」は含まれない、ということになるが、「国民」を含まない「国」とは、いったい何を指すのか。「国民」に対置される「国」とはいったい何なのか。

 それに対する答えは、あるとすればただ一つ、そこでいう「国」とはじつは統治権力それ自体を指すのだ、ということしかない。自民党「改憲案」が前提としている「国」とか「国家」は、その言葉から一般的にイメージされるものとは違って、統治権力そのものを意味しているわけである。そういう「国」とか「国家」のための憲法、つまりは権力のための憲法、それこそが、自民党が作ろうとしている憲法なのである。「国」と「国民」が「協力」するというのも、具体的には、統治権力を握っている者と個々の国民が協力するということを意味することになるが、その「協力」は、一方が権力を握っている者である以上、対等な関係における協力とはなりえず、権力側が国民に「協力」を「強制」するということにならざるをえないであろう。こうして、「国」や「国家」という言葉の「乱発」のなかから、自民党「改憲案」が権力の側の立場から権力のために書かれた「改憲案」だという、その「本音」・「本質」が浮かびあがってくる。彼らは、自分たちが権力の側にいることを当然の前提としていて、そういう「上から目線」でしか考えないから、こんな「改憲案」が出てくるのだと思う。そんな「支配する側」からの目線で構想された「改憲案」は、一つたりとも絶対に受け入れてはならない。



 

[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]