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浦部法穂の憲法時評

 

政治権力を私物化する品のない政治家たち


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年11月21日

 9月中旬頃から10月中旬にかけて、アメリカの債務上限問題がマスコミを賑わせていた頃、NHKのニュースで現地の状況をリポートした記者が、《「決められない政治」への批判が高まっている》といったようなことを言っていたと記憶する。その場で記録していたわけでもないし録画して確認したわけでもないから、私の記憶だけなのだが、「決められない政治」という言葉はたしかに使っていた。ニュースを見ていて、またしても決り文句的な「ワン・フレーズ」で片付けるか、という思いを強くもったために、このことは記憶に残ったのである。

 「決められない政治」というフレーズは、衆・参「ねじれ」状況の中での民主党政権下の日本政治を批判する決り文句であった。「決められない政治」はダメだということが、マスコミを通じて何度も何度も頭の中に刷り込まれた日本の有権者は、「決める政治」を掲げた安倍・自民党を衆議院選でも参議院選でも圧勝させ、「ねじれ」も解消させた。そして、いま、「決められない政治」は終わり、首相がこうだと言えば「何でも決められる政治」が実現した。だが、それで、この国の政治は国民にとって良い方向に進んだのだろうか。「何でも決められる政治」がもたらしたもの。それを一言で言えば、政治権力の「私物化」である。

 安倍首相すなわち「右翼の軍国主義者」の首相は、今年8月、集団的自衛権の行使を可能にすべきだとする自分の考えを実現するため、内閣法制局長官に、自分と同じ考えで近しい小松一郎・駐仏大使を起用した。安倍氏にとっての宿願を果たすための「お友達人事」である。それ以上に露骨な「お友達人事」が、11月のNHK経営委員人事である。新たに4名の委員を任命することになった安倍氏は、かつて自分の家庭教師であった人や自分の「応援団」の作家等、自分に近い人ばかりを任命した。こうして、来年1月に予定されるNHK会長の選考に自身の意向を反映させ、政権の言うことを聞く「イエスマン」を会長に据えてNHKを自分の支配下に置こうというわけである。

 さらに安倍政権は、教育への支配介入を強め、小中学校の「道徳」を教科に「格上げ」して検定教科書に基づく「道徳」教育をさせ、また、教科書検定基準を改定して、「バランスのとれた」記述と政府見解の記述を求め、「改正教育基本法に照らして重大な欠陥がある場合」には不合格とするといった不合格要件を定めようとしている。教育を、自分たちの価値観や歴史観を子どもたちに教え込むための道具にしよう、という企みである。

 政府部局や省庁だけでなく、マスメディアと教育をも自己の支配下に置くことができれば、自分(たち)の個人的な思いや信念や趣味趣向まで、すべて思い通りに実現できることとなろう。そのために、政治権力をフルに使っているのが、いまの政治である。まさに政治権力の「私物化」である。そうして仕上げに、「特定秘密保護法」が待っている。この法律ができれば、何が秘密かも秘密にされることとなるから、政府は、国民に知られて困ることはすべて「特定秘密」に指定することで、何でもやりたい放題にできるという、一種の「フリー・ハンド」を手に入れることができる。まさかそんな乱用はしないだろうと思う人も多いだろうが、「まさか」の「お友達人事」を平気でする政権だから、信用ならない。そして、政権批判をしないマスコミと政府のやることは正しいと教え込む教育のもとで耳をふさがれた国民は、政権批判という言葉さえ忘れて、政府のなすがままに身を委ねることになるだろう。こうなれば、「右翼の軍国主義者」たちに怖いものはない。それが安倍政権の意図するゴールなのだろう。

 これが、いまの「何でも決められる政治」の実態である。民主主義のもとでは、マスメディアは政府を監視する重要な役割を担うべきものであるから、政府がマスメディアを支配するようなことはあってはならない。また、教育は特定の考えや価値観を教え込むものであってはならず、その意味で政治の介入は避けられなければならない。そして、政府のもつ情報は国民に知らされることが原則で、例外は最小限にとどめなければならない。これは、民主主義にとっての、ある意味最低限の要求といってよい。政治権力者にとっては、自分の意思を思い通りに実現するために、いずれも手を突っ込みたくなる領域である。しかし、だからこそあえてその領域には手を出さないというのが、民主主義のもとでの政治権力者としての見識であり品格である。そういう見識も品格も持ち合わせていない政治家に「何でも決められる」力を与えてしまったら、禁忌の領域だろうが何だろうがお構いなしに、その権力を自分のために最大限使うという政治権力の「私物化」が行われることになるのである。それでも「決める政治」のほうがいいと、私たちは言えるだろうか。

 さて、「政治権力の私物化」ということでいえば、安倍氏のはるかに上を行く政治家が大阪にいる。こちらの「私物化」は徹底している。自分に忠実でない職員が勤務時間中にたばこを一本吸っただけで「懲戒免職ものだ」と怒って処分したのに(実際の処分は停職4か月)、自分の肝いりで採用した「民間人校長」や「民間人区長」の少なからぬ数がセクハラだの無断職場離脱だのといった問題を起こしても「人間誰にも間違いはある」といって寛大な態度をとり(処分しても減給程度にとどめ、児童の母親にセクハラ行為をした校長は研修を受けさせたのち学校に復帰させることとしたが、父母等の反対にあって結局自主退職でけりをつけた)、あるいは自分の学生時代からの友人を民間人校長として採用させ(この人物は、校長として、卒業式等での「君が代」斉唱の際に教員が実際に歌っているかどうか「口元チェック」をした人物で、その後今年4月に大阪府教育長になっている)、そのために48歳以上となっていた民間人校長の応募要件を35歳以上に変えさせた(件の人物は当時39歳だった)といわれている、など、露骨である。政治権力の「私物化」を着々と進めつつある安倍首相には、ゆめゆめ、これと張り合おうなどとは考えないで欲しい。首相による政治権力の「私物化」は、一地方に限定されず全国民に重大な影響を及ぼすのだから。逆に、安倍氏には、首相として、いまからでも、民主主義政治家としての見識と品格を取り戻して欲しいと願うが、もともとそんなものを持ち合わせていないのだとしたら、期待しても無駄なことかもしれない。



 

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