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浦部法穂の憲法時評

 

最高裁「砂川判決」と集団的自衛権


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2014年4月10日

 1959年12月16日に出されたいわゆる「砂川事件」の最高裁判決が、いま、変な形で「脚光」を浴びている。自民党の高村副総裁が、集団的自衛権の行使容認の根拠として、この「砂川判決」を持ち出したからである。曰く、《最高裁は「主権国家として持つ固有の自衛権」は憲法上否定されていないと言っており、そこでは「個別的」とか「集団的」とかという区別はしていない。これが自衛権に関する最高裁の判断として「唯一無二」のものだ。だから、集団的自衛権は憲法上禁じられているという解釈は相当無理がある。》と。そして、この高村氏の言い分に、自民党議員の多くが「納得」したという。いったい、「砂川判決」のどこをどう読めば集団的自衛権を認める根拠になるというのか。高村氏を含め自民党の議員たちは、そもそも、判決文を全部きちんと読んだことはないのだろう。以下、少々長くなるが、そして関係箇所だけになるが、判決文をそのまま引用しておく。このどこに集団的自衛権の根拠を見出すことができるのか、じっくり考えてもらいたい。

 「そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求』することを宣言し、また『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と規定し、さらに同条二項においては、『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
 そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

 「砂川事件」の最高裁判決は、日米安保条約とそれにもとづく駐留米軍が憲法9条2項に違反するとした1審判決(東京地裁1959年3月30日)を覆すために書かれたものである。日米両政府にとっては、1960年の「安保改定」を控えて、1審判決はなんとしても1959年中に覆しておかなければならなかった。1審判決が出た翌日早朝、当時のマッカーサー駐日米大使が藤山外相に会い、最高裁への跳躍上告を促したこと、8月には当時の田中耕太郎最高裁長官が米公使と「私的」に会談して、判決は12月に出され1審判決を破棄する内容になるだろうと話し、世論を「かき乱す」ような少数意見がつかないよう努力する旨を語ったこと、等々のことは、すでに数年前に新聞等でも報道され明らかになったことである。そういう意味で、この最高裁「砂川判決」は、もっぱら政治的な観点から、そして最高裁が自ら司法の「独立性」を放棄して書かれた文書であり、もはや裁判所の判決として尊重されるに値するものではない。日本の政治と司法にとって恥ずべき前例である。が、その点を差し引いて判決文を読んでみても、そこで言っていることは、要するに「日本を守ってもらうためにアメリカ軍を駐留させても憲法に違反しない」ということだけであって、「アメリカが攻撃されたときにアメリカを守るために日本が軍事行動することも憲法上許される」などということは、行間を読んでさえとうてい読み取れない。むしろ、私でさえ(?)その「卑屈さ」に腹が立つような内容である。そんなものを集団的自衛権正当化の根拠として持ちだそうとは、彼らもよほど「手」がないのだろう。朝日新聞の直近の世論調査によれば、集団的自衛権の行使容認に反対と答えた人が63%に増え、賛成の29%を大きく上回ったという。



 

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