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浦部法穂の憲法時評

 

「集団的自衛権」に関する2編再掲


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2014年6月23日

 安倍政権の暴走は止まるところを知らない。「ブレーキ役」を自認していたはずの公明党も、最初から「連立離脱」のカードを捨ててしまっていたのでは、屈するほかはない。「集団的自衛権」は、決して日本の「自衛」のためのものではない。多くの国民が、どうも、「自衛」という言葉のために勘違いしているようである。「集団的自衛権」は、他国を守るために日本が武力行使するということであるから、日本から見れば「自衛」ではなく「他衛」なのである。「中国が尖閣諸島を奪いにくるかもしれない」というのは、「個別的自衛権」の話であって、「集団的自衛権」とは全然関係のない話である。なのに、「中国が軍事的な活動を強めており、そういう脅威が現実化している、だから集団的自衛権が必要だ」という類いの、政権やその「忠犬」メディアが流す、国民の「勘違い」を利用し助長する「意図された嘘」に、少なからぬ国民が完全にだまされている。そうやって国民をだまし、与党プラス「補完勢力野党」が圧倒的多数を占める国会を背景に、国会でのまともな議論すらないまま、「集団的自衛権行使容認」の「閣議決定」がいまにもなされようとしている。こういう差し迫った情勢なので、多くの人にもう一度考えてもらいたいと思い、今回は、5月12日に掲載した「『集団的自衛権』の次は……」と5月22日付掲載の「安倍晋三と14人の『無識者』たち」の2編を、「バックナンバー」に格納されたままでは目につきにくいのではないかということで、以下に再掲することとした。

【「集団的自衛権」の次は……】(2014年5月12日付)

 安倍内閣は、「集団的自衛権」容認の「憲法解釈の変更」を、今国会後にも閣議決定する方針だという。当初は今国会中の閣議決定をめざしていたが、反対論が根強い公明党への「最大限の配慮」として急がない姿勢をみせた、というのだ。果たして公明党はどうするか?山口代表は「連立離脱という選択肢はない」と言っているから、ここまで「配慮」してくれたのだから、というので結局は賛成することになるだろうと思うが、どうだろうか。しかし、「集団的自衛権」に賛成してしまえば、公明党はもはや完全に存在意義がなくなる。ただただ政権にしがみつくだけの「権力亡者」集団だと言われても仕方がないことになろう。ともかく、夏までには「憲法解釈変更」の「閣議決定」が行われることは、まず必至の情勢である。1945年の敗戦以後、曲がりなりにも「戦争をしない国」であり続けてきた日本は、「戦後70年」を目前に、「戦後」に終わりを告げ再び新たな「戦前」へと歩みを進めることになるのであろうか。

 「集団的自衛権」の行使を認めること、また、それを内閣による「解釈変更」で行うことには、各種世論調査でも反対意見のほうが多いし、5月3日には多くの新聞が、安倍政権によるこうした憲法破壊を批判する論説を掲載した。安倍首相は、そうした国民多数の意見をまったく顧みることなく、自分の考えだけで突っ走ろうとしている。「自由と民主主義、法の支配という価値を共有する国」との連携を強化する、というのは、最近の安倍氏の「口癖」であり、あちこちの外遊先で決まって強調していることであるが、やっていることは、それとは真逆である。情報隠しと教育統制・マスコミ支配で国民の思想・言論の自由を奪い、国民の意思など「どこ吹く風」で「民意」無視の政治を平気で押し進める。そして、「法の支配」の最も重要な内容である憲法による権力統制を、自分たちで勝手に都合のいいように憲法を「解釈」することで骨抜きにしようとしているのである。自由も民主主義も法の支配も、全部否定しているのが、安倍氏であり安倍政権なのである。安倍氏が「自由、民主主義、法の支配」を言うとき、彼の念頭にあるのは、それらの価値に重きを置かない中国や北朝鮮(最近では、とくに中国)であることは、容易にうかがわれる。でも、安倍氏は、自分のやっていることが日本を中国や北朝鮮のような国にしようとすることだ、とは気づいていない。安倍政権の暴走をこのまま許してしまえば、日本は確実に、「自由と民主主義、法の支配という価値を共有する国」ではなくなるだろう。

 安倍氏の暴走を止められず日本が「集団的自衛権」を行使する国になったら、そのあとに何が待っているだろうか。日本の自衛隊が戦場へ出かけていって戦うことになるのは当然だろう。それを可能にするために「集団的自衛権」容認の「憲法解釈の変更」をしようとしているのだから。ということは、自衛隊に入れば戦場に送り出され、「戦死」も現実問題として覚悟しなければならないことになる。いまでも、自衛隊員はいざとなれば「戦死」も覚悟しているのだろう。しかし、実戦経験もなく実際に戦死者を出したこともない今と、実際に戦争をして何人かの戦死者を出したあととでは、「覚悟」の現実性・切迫性は大きく違ってくると思う。そうなったときに、自衛隊に入ろうという若者が今より大幅に減るだろうことは、十分に予想される。なにせ、失業や不安定雇用が問題になっている一方で、「きつい」「安い」などで人手不足に悩んでいる業種が少なくないのだから。それに加えて、少子化で若者の数自体が減少していくということも関係してくるだろう。それに対処して必要な数の自衛隊員を確保するために、果たしてどういう策をとることになるのか。

 教育を通じて「愛国心」を植え付けるというのは、そのための一つの有力な方策である。だから安倍政権は教育への政治介入を強め、政治による教育支配を可能にするような制度改革をしようとしているのである。情報統制とマスコミを通じての世論操作も重要になろう。これも、安倍氏は、「特定秘密保護法」とNHK会長および経営委員人事によってすでに着手済みである。しかし、最終的には、これだけでは十分でない。必要な数の自衛隊員を確保するためには、最後は、なんらかの強制性をもった手段が必要になるはずである。つまり、兵役の義務化である。「またまた徴兵制だと騒ぐのか。現代の軍隊には高度化専門化された技術が必要で、徴兵して素人を引っ張ってきても何の役にも立たないし教育負担が増えるだけだから、徴兵制などありえないのに」といった類いの声が「右」から聞こえてきそうだが、徴兵でなくみずから志願して自衛隊に入隊する人でもはじめは「素人」であることに変わりはないはずで、「素人を入隊させても役に立たない」と言うのなら、それは徴兵制であろうがなかろうが同じである。いまやっている自衛隊員募集も、無駄なことでしかないことになる。「高度化専門化された技術が必要だ」などの論は、一見もっともらしく聞こえるかもしれないが、ちょっと考えれば完全に論理破綻していることがわかる。こういう類いの「えせ論理」にだまされてはならない。

 「集団的自衛権」の次には、兵役の義務化=徴兵制が待っていると、私は思う。「徴兵制は憲法13条や18条などの趣旨から認められない」というのがこれまでの政府見解であるが、こんなものは内閣が「解釈変更」すればいいだけで、どうとでもなる。戦争になっても戦うのは自衛隊員で自分は関係ない、と多くの若者が思っているとしたら、それはとんでもない。それこそ現実を見ない思い込みである。「国を守る」だの「領土を侵されてはならない」だのといった「うわついた」議論ではなく、自分が戦場に行き人を殺しあるいは殺されるかもしれない、そうなってもいいのか、ということを、まさに自分自身の問題として「地に足を付けて」考えるべきときである。

【安倍晋三と14人の「無識者」たち】(2014年5月22日付)

 「紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子どもたち。彼らが乗る米国の船をいま私たちは守ることができない」。だから「集団的自衛権」が必要だと、安倍首相は、米軍艦に母と子らが乗り込む絵を描いたパネルまで用意して、国民に訴えた。まったく笑っちゃう話である。一体全体、海外の日本人が武力紛争の危険に巻き込まれたときに、アメリカの軍艦に救出してもらうしかないなどと、本気で考えているのだろうか。軍艦よりも民間航空機や民間船舶で救出するほうが遥かに安全なのに(軍艦なら、当然「敵」の攻撃対象になる)、軍艦で打ち合いをしながらでなければ救出できないような事態になるまで傍観しているつもりなのだろうか。「国民の生命や安全」に責任を負うべき一国の首相がそんな考えでいるとしたら、首相の資格はない。あのパネル図は、安倍氏がみずから首相失格を告白したようなものである。そんな話でコロッとだまされるほど、国民はバカではないと思う。それに、2004年にイラクで「日本の自衛隊撤退」を要求するファルージャ武装グループの人質となった日本人3人について、「自己責任」だと言って助けようとしなかったのは、誰だったのか。

 5月15日、安倍首相の私的諮問機関「安保法制懇」が、「集団的自衛権」の行使を「憲法解釈の変更」によって認めるよう求める報告書を提出した。これを受けて、安倍首相は同日夕に、上記のパネル図を用いた記者会見を開いたのであった。「安保法制懇」の結論は、はじめから決まっていたものなので、報告書には何の驚きもない。が、予想以上に出来が悪い。「集団的自衛権を認めるべし」とする理由くらい、もう少し論理的に書くかと思ったが、「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」の一言だけである。それと「集団的自衛権」がどう関係するのか。かりに、中国や北朝鮮の動きが日本にとって軍事的な脅威になっているとして、だからアメリカが攻撃されたときに自衛隊を派遣してアメリカを助けなければならない(集団的自衛権)、という論理は、いったいどこから出てくるのか。中国や北朝鮮が日本に攻撃を仕掛けてくるかもしれないと言っておいて、それがなぜアメリカを守らなければならないという話になるのか。「抑止力」を高めるため? 安倍首相も記者会見で、さかんに「抑止力」、「抑止力」と言っていた。アメリカが攻撃されたときに日本が助けに行けば日本が攻撃されたときにはアメリカが必ず助けに来てくれる、そういうように関係が強固になれば「抑止力」も強化される、ということなのだろう。だが、こんな「お人好し」の感覚は、それこそ「国益」の絡み合う国際関係の舞台で通用しない。アメリカはアメリカの「国益」に適えば日本を助けるだろうし、そうでなければ助けない。それだけの話である。

 「安保法制懇」は14名の「有識者」で構成されているということになっているが、上記の点だけを見ても、とてもとても「有識者」とは言えない。知識も見識も持ち合わせていない「無識者」の集まりだといわざるをえない。とどめは、《個別的自衛権も憲法の「解釈」によって認めてきたのだから、集団的自衛権も政府が新しい解釈を示すことで認められる》という旨のくだりである。事態に応じて政府が「解釈」を変えれば何でもできる、というのなら、憲法なんか要らない。14名の「無識者」たちは、憲法に関してはまったくの無知だと断言できる。そもそも、「安保法制懇」は安倍首相の「私的諮問機関」である。つまり、安倍氏が個人的に集めただけのもので、それが何をしようと何を言おうと、公的な意味合いは微塵もない。だから「無識者」ばかりを集めても成り立っているのである。そんなところが出した「報告書」を、「政府の憲法解釈」の変更の根拠やきっかけにすることは、安倍氏による政府の私物化にほかならない。5月15日の「茶番」は、「茶番」のままに終わらせるべきである。

 それにしても、安倍氏やその取り巻きは、いったい何がしたいのだろうか。何のために自衛隊をそこまで戦地に送りたいのだろうか。「国民の生命や安全を守る」と言いながら、国民の一人であることに間違いのない自衛隊員の命をあえて危険にさらす。自民党の石破幹事長は、自衛隊員が戦闘で命を落とすことに「政治家は覚悟を決めるべきだ」などと発言している。安倍氏も石破氏も、アメリカが攻撃されたらアメリカを助けるために自分が先頭に立って戦場に乗り込もうなどというつもりは、もちろんまったくない。自分は絶対安全な場所にいることが当然だという前提で、自衛隊員に死を厭わず戦えと命じるのである。彼らにとって、自衛隊員は「生身の人間」ではなく自分たちを守るための「駒」でしかないのである。「集団的自衛権」に賛成という人の多くも(「集団的自衛権」に限らず一定の武力行使が必要だと考える人も)、同様の感覚でいるのではないかと思う。しかし、安倍氏や石破氏は安全な場所に居続けられるかもしれないが、「一般人」はそうはいかない。いつなんどき「駒」のほうに回されるかもしれないのだ(前回の『憲法時評』参照)。絶対安全な場所にいられる人たちの口車に乗せられて、自分もそうだと錯覚しないほうがよい。石破氏のいう「政治家の覚悟」というのは、自衛隊員が戦死して政府に対する批判が高まり内閣がつぶれるとか、次の選挙で落選するとかの「覚悟」である。そんなものと人ひとりの命を天秤にかけているのが、彼らの本音なのである。そんな連中の言うことは絶対信用してはならない。

 最近の中国や北朝鮮の動きから、日本の「安全保障環境」は厳しさを増していると、さかんに言われる。本当にそうなら、原発再稼働など、とんでもないことである。もし「敵」が原発を狙ってミサイルを撃ち込んできたら、この国はどうなる? それでも原発再稼働を進めるというのなら、中国や北朝鮮の「脅威論」がウソなのか、それとも「国民の生命・安全を守る」というのがウソなのか、そのどちらか(あるいは両方?)だと思うが・・・。



 

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