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浦部法穂の憲法時評

 

沖縄密約文書公開請求訴訟の最高裁判決


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2014年7月24日

 情報公開法に基づき、沖縄返還をめぐる日米間の密約に関する文書の公開を求めたが、「文書を保有していない」として不開示とされたため、その不開示決定の取り消し等を求めた裁判で、最高裁は7月14日、「開示請求の対象とされた行政文書を行政機関が保有していないことを理由とする不開示決定の取消訴訟においては、その取消を求める者が、当該不開示決定時に当該行政機関が当該行政文書を保有していたことについて主張立証責任を負うものと解するのが相当である」としたうえで、国の不開示決定を適法と判断した。要するに、国(行政)が国民に見せたくないと考える文書は廃棄してしまえばいい、そうして「ないものは出せない」と開き直れば「適法」に隠し通せる、ということを最高裁が認めたわけである。公開を求める側が文書の存在を証明せよ、というが、行政の側が「存在しない」とした文書を「存在する」と証明することは、部外者にはほとんど不可能であるから、行政の側は「ないものは出せない」と言いさえすれば開示義務を負わない、ということになるわけだ。

 そのため、この判決に対しては、新聞各紙はこぞって批判的であった(「読売」や「産経」でさえ!)。公文書の公開を求める側に「文書の存在を証明せよ」などという無理難題を押しつけて情報隠しを正当化する判決、というのが、ほぼ共通した批判点であったように思う。だが、「文書の不存在を理由とする不開示決定の取消訴訟においては、開示請求者が、当該文書の存在について主張立証責任を負うと解するのが相当である」とする判断自体は、本件密約文書の公開を命じた1審判決(東京地裁2010年4月9日判決)でも、そしてそれを破棄して本件不開示決定を適法とした2審判決(東京高裁2011年9月29日判決)でも、すでに示されていたところである。つまり、公開請求する側に文書が存在することを証明せよという無理難題を押しつけているという点では、1審から最高裁まで、裁判所の姿勢は共通しているのである。では、何が違って、1審と2審・最高裁で結論が逆になったのだろうか。

 それは、とくに1審と最高裁を比べた場合、この無理難題が無理難題であるということを裁判所が意識していたかどうかの違いである。1審判決は、上記主張立証責任が原告(公開請求した者)にあるとしたうえで、原告は「行政機関が保有していないとされた行政文書に係る当該行政機関の管理状況を直接確認する権限を有するものではないから」(つまり、原告の側が文書の存在を確定的に証明するのは無理だから)、「基本的には、@過去のある時点において、当該行政機関の職員が当該行政文書を職務上作成し、又は取得し、当該行政機関がそれを保有するにいたり、Aその状態がその後も継続していることを主張立証するほかないことになる。そして、当該行政文書が、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして一定水準以上の管理体制下に置かれることを考慮すれば、原告である開示請求者において上記@を主張立証した場合には、上記Aが事実上推認され」、この推認を破るためには、行政機関の側が不開示決定の時点までに廃棄・移管等によって保有しなくなったことを主張立証しなければならない、と述べている。要するに、基本的には、原告側は当該文書が過去のある時点において存在したということを証明すればよい、というわけである。だから、1審判決は、沖縄密約文書があったという事実は否定できないから、いまもあると推認される、行政の側は存在しないと言うが、きわめておざなりの調査しかしていないから、それではこの推認を破ることはできない、したがって公開すべきであり、不開示決定は違法だ、としたのである。

 2審判決も、じつはこの点、ほとんど同じ判断を示している。無理難題を押しつけているということは、2審も十分意識していたのである。ただ、2009年の9月に民主党政権の岡田外相が「密約」問題の徹底調査を外務省に指示し、翌年3月に明らかにされた調査結果によっても「密約」関連文書の存在が確認されなかった、ということを踏まえて、2審判決は「文書不存在」とする行政機関側の主張を認め不開示決定を適法としたのであった。

 しかし、最高裁の判断は大きく異なる。最高裁は、ある時点において文書が存在したということから今(不開示決定時)も当該文書があるという推認ができるかどうかは、「当該行政文書の内容や性質、その作成又は取得の経緯や上記決定時までの期間、その保管の体制や状況等に応じて、その可否を個別具体的に検討すべき」だとし、「特に、他国との外交交渉の過程で作成される行政文書に関しては、公にすることにより他国との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国との交渉上不利益を被るおそれがあるもの(情報公開法5条3号参照)等につき、その保管の体制や状況等が通常とは異なる場合も想定されることを踏まえて、その可否を検討すべき」である、と述べる。1審・2審が、ある時点で「あった」と証明できたなら原則「今もある」と推認できる、としたのに対し、最高裁は、「原則推認」ではなく、「個別具体的に検討すべきだ」という。つまり、文書があることを証明せよという無理難題をそのまま国民の側に押しつけるわけである。そして、とくに重要な点は、外交文書に関しては特別の考慮が必要だとして、特別扱いを示唆したことである。つまり、外交文書のような秘密性の高い情報を含みうるものについては、行政機関の側が「文書は存在しない」と言えば、たとえある時点においては存在したと証明されても、「存在しない」ものとして扱われることになるのである(「今も存在する」ということを原告の側で証明できればいいが、そんなことは無理だから)。この理は、「特定秘密」にあたる情報を含みうる文書にも、容易に転用されることになろう。こうして最高裁判決は、行政の側が隠したい情報を勝手に恣意的に廃棄することによって、あるいは「文書不存在」と言いさえすれば、国民からの公開請求を退けることができる、という道を大っぴらに承認したのである。「文書の存在を原告の側が証明すべきだ」とする原則論自体、国民に無理を強いるものとして問題であるが、それと同時に、あるいはそれ以上に、今回の最高裁判決の一番の問題点はこの点にある。



 

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