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浦部法穂の「大人のための憲法理論入門」

 

第3回 「憲法の改正」と「新憲法の制定」の違い


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2014年12月8日

 「憲法の改正」とは、現行憲法を前提としてその条項に変更を加えることである。一方、「新憲法の制定」は、現行憲法を廃棄して新しい憲法を定めることである。言葉の意味的には、こういう違いがある。つまり、現行憲法を存続させるのかそれとも廃棄するのか、という違いである。また、「憲法の改正」については、たいていの国の憲法がその手続きを定めているから、「憲法の改正」は憲法の定める手続きに従った憲法の変更でなければならない。これに対し「新憲法の制定」は、必ずしも憲法の定める手続きに従って行われるものではない。だから、両者の違いは明瞭だともいえる。しかし、革命やクーデターあるいは戦争などによって権力構造の大きな変更が生じたときなどに、明示的に憲法を廃棄して新憲法を制定するというときには、それは明らかに「憲法の改正」とは違うということがはっきりしているが、憲法の定める改正手続きによって現行憲法を実質的に廃棄するに等しいような変更が行われたとき、それは「憲法の改正」なのか、それとも内容上実質的に憲法を廃棄したとみなしうるから「新憲法の制定」とみるべきなのか、両者の区別が必ずしも明瞭でない場合も出てくる。

 この点は、教科書的には「憲法改正の限界」の問題として議論されている。これには改正「限界説」と「非限界説」があり、「限界説」は現行憲法の基本的な原理を大きく変質させるような「改正」はできないといい、「非限界説」は改正手続きに従うかぎりどのような変更も可能だという、等々のことは、すでに読者諸氏は周知のことだと思う。ただ、「限界説」も、言うところの「限界」を超えた憲法の変更が改正手続きに従ってなされたときに、それを法的に無効だとするものではなく、それが実際に憲法として通用することになったなら有効なものとして受けとらざるをえない、とする。しかし、それはもはや「憲法の改正」とはいえず、憲法の廃棄と「新憲法の制定」とみなさなければならない、というのが「限界説」の主張である。一方「非限界説」は、憲法の定める手続きに従った変更であるかぎり、どんな内容のものであっても「憲法の改正」と呼んでいい、とするわけである。とすると、この「限界説」と「非限界説」の対立は、「憲法の改正」という言葉の用い方の問題に過ぎないようにみえる。しかし、理論的に詰めて考えてみると、ここには言葉の問題だけでない、ある意味重要な問題が潜んでいる。

 なお、読者のなかには、憲法改正に限界があるとする以上、その限界を超えた「改正」は無効とすべきではないのか、という疑問を持つ人もいるかもしれない。しかし、このシリーズの一番はじめ(「憲法はなぜ憲法なのか?」)に述べたように、憲法が憲法として通用するのは国民がそれを憲法として認めているからである。とすれば、たとえ限界を超えた「改正」が行われたとしても、国民がその「改正」後の憲法を憲法として認めたならば、それは憲法として通用するのであり、もはやそれを無効とする根拠がなくなってしまう。したがって、限界を超えた「改正」だからといって、それが実際に憲法として通用することになったなら、無効とは言いえないことになるわけである。

 「改正限界説」に立ったとしても「限界」を超えた「改正」を法的に無効とすることはできない、ということなら、「限界説」でも「非限界説」でもどっちでもいい、そんな議論は無意味だ、ということになりそうだが、私は、理論的には「限界説」が正しいと考える。ほとんどの国の憲法は、憲法改正の発議権や議決権を議会に与えているが、議会は現憲法のもとで存立しているものであり、その議会がみずからの存立の基礎となっている憲法を廃棄するような発議・議決ができるとするのは、理屈に合わないからである。《議会は国民の代表なのだから、「国民の憲法制定権」を代表して行使すると考えれば、現憲法を廃棄して新憲法を制定することも可能であり、それを改正手続きを借りて行ったとしても理論的に問題になるところはない》、という理屈も成り立ちそうにみえる。しかし、議会が「国民の代表」であるのは、あくまでも現憲法を前提にしての話である。現憲法を離れて議会が「国民の代表」として行動できるわけではない。だから、現憲法が議会に「国民の憲法制定権」自体の代表行使を認めている場合でないかぎり、「国民の代表」であっても「国民の憲法制定権」そのものを行使することはできないのである(「国民の代表」は「国民」それ自体ではない!)。

 もちろん、憲法自身がその基本的な原理を大きく変更する「改正」(すなわち現憲法の廃棄と新憲法の制定)を認め、そのための手続きを用意している場合には、話は別である。たとえば、スペイン憲法は、憲法の全面改正や重要な基本原理にかかわる改正を、通常の改正の場合よりもさらに厳格な要件によって、明文で認めている(このような改正の提案があった場合には、両院の3分の2以上の賛成でこれを承認した上で議会を解散、新たに選出された議会で新憲法草案を作り両議院の3分の2以上の賛成で議決して国民投票に付する=スペイン憲法168条)。したがって、スペインの場合には、この手続きに従うかぎりにおいて、現憲法を廃棄し新憲法を制定するような憲法「改正」も可能だということになる。この場合には、理論的には、憲法制定権を持つ国民が、新憲法制定のための一過程である新憲法草案の審議・確定という作業を、上記手続きに従うことを条件に議会に委ねた、と理解することができる。

 日本国憲法には上記スペイン憲法のような規定はない。つまり、新憲法制定のための手続きはいっさい定められていないのである。だから、日本国憲法のもとでは、国会は、実質的に新憲法の制定とみなすべき現憲法の「全面改正」や重要な基本原理を変質させるような「改正」を発議することはできず、したがって憲法改正には限界がある、ということになる………のだが、ここには論理の「トリック」があるようにもみえる。それは、また次回に。



 

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