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浦部法穂の「大人のための憲法理論入門」

 

第4回 日本国憲法のもとで「新憲法の制定」は、どうやったらできる?


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2015年1月8日

 前回、日本国憲法には新憲法制定のための手続きは定められていないから国会は実質的に新憲法の制定とみなすべき「改正」を発議することはできない、したがって憲法改正には限界がある、と述べた。しかしここには論理の「トリック」があるようにもみえる、とも言った。それは、「実質的に新憲法の制定とみなすべき改正」という言い方自体が「改正限界説」を前提にした言い方ではないか、ということである。「非限界説」を前提にすれば、憲法の定める改正手続きに従った改正であるかぎり、それはどんな内容のものであっても「憲法の改正」であって「新憲法の制定」ではない、ということになるから、国会は両院の3分の2以上の賛成があればどのような改正も発議できる、という結論になる。だから、結局「言葉の問題」にすぎない、ということになりそうである。

 しかし、憲法改正に限界はないという考え方は、日本国憲法のもとでは、やはり成り立たない。憲法改正の発議権は国会に与えられている(96条)。そして、その国会を構成する国会議員には「憲法尊重擁護義務」が課せられている(99条)。このことから言えることは、国会の憲法改正発議権は「憲法尊重擁護義務」の範囲内でのみ認められているものだ、ということである。現憲法を全面的に書き換える「全面改正」や現憲法の基本的な原理・原則を変質させてしまうような「改正」は、現憲法の否定にほかならないから、そのような「改正」を国会が発議することは明らかに「憲法尊重擁護義務」に反する。したがって、日本国憲法はみずからを否定するような「改正」を認めていない、という結論にならざるを得ない。つまり、日本国憲法は、改正手続きに従うかぎりどんな内容の「改正」であってもよいという立場はとっておらず、改正に内容上の限界を設けているのである。日本国憲法の解釈論としては、「改正限界説」以外には成り立ちようがないと思う。

 では、日本ではもう「新憲法」を作ることはできないのか? そう、日本国憲法のもとではできない。つまり、いまの憲法のもとで憲法に則って合法的に「新憲法」を制定することはできないのである。ただし、「合法的」ということにこだわらなければ、できる。革命やクーデターで権力を奪取し、現憲法を廃棄して「新憲法」を制定するのである。日本国憲法に代えて「新憲法」を作りたいと思う人たちは、こうする以外にはその思いを実現する方法はない。そして、それらの人たちは、本来、国会議員や大臣になってはいけない。国会議員や大臣になれば「憲法尊重擁護義務」を負うことになるから、「新憲法の制定」という自分たちの政治理念を捨てなければならないからである。「新憲法の制定」を言いながら議員や大臣になるというのは、自己矛盾である。「新憲法の制定」を掲げる政治団体やそのメンバーは、統治機構とは距離を置くべきである。これが憲法理論上の帰結である。

 しかし、それでは、「新憲法の制定」という目的は、文字どおり力ずくで権力を奪取しないかぎりできないことになってしまう。まさに目に見える形での革命やクーデターを起こさなければならない、ということになる。だが、そういう文字どおり力ずくでの権力奪取は、日本のように政治的に成熟し安定した国では、正当性への疑念・批判を免れず、不可能に近い。だから、「新憲法の制定」をめざす人たちは、日本国憲法のもとで権力を握ることによって、その権力を使って「新憲法の制定」を行おうとするわけである。つまり、国会で3分の2以上の勢力を獲得し、憲法改正の手続きを借りて「新憲法」を制定しようというわけである。そうすれば、「憲法に従った改正なのだ」といって「合法性」を偽装し、正当性への大きな疑念や批判を回避して自分たちの目的を達成できることになる。けれどもそれは、憲法の内容を日本国憲法とは違うものに変質させるのだから、憲法を「尊重擁護」したことにはならない。国会議員に課せられた「憲法尊重擁護義務」を無視してのみ、できる行為である。「憲法尊重擁護義務」を無視するということは、憲法そのものを無視するのと同義である。権力を握って憲法を無視する。そして、その憲法を否定して「新憲法」を制定する。これはクーデターそのものである。たとえ暴力的手段に訴えなくとも……。

 自民党は「自主憲法制定」を党是としている。ほかにも、自民党よりさらに「右」側で「自主憲法制定」を唱える政党もある。こういう政治集団のメンバーが多数国会議員になり、政権の座にすわって内閣総理大臣やその他の大臣にさえ就いている。そして自民党は、「新憲法草案」を発表し、日本国憲法の改正手続きを借りて「新憲法の制定」を行おうとしている。こういう形で、国民にはそれと気づかせない形で、彼らはいま、実際、クーデターを進行させているのである。だから、本来なら、日本の国民は、この政権の正当性に疑念や批判を突きつけなければならないはずである。しかしそれが、「憲法改正」の問題だとされることによって覆い隠されてしまっているわけである。

 すでに何度も言っているように、憲法は国民がそれを憲法として認めているから憲法として通用するのであるから、憲法改正の限界を超えた「改正」すなわち「新憲法の制定」が行われても、それを国民が承認してしまえば、それまでである。国民がその「新憲法」を憲法として認めたなら、そちらが憲法として通用することになるのだから、もはや「限界を超えた改正だから云々」の議論は意味をなさないものとなる。だから、そうなる前に、憲法制定権者である国民が「憲法改正の限界」をきちんと認識しておく必要がある。もちろん、国民が、いまの憲法ではだめで「新憲法」が必要だ、と考えるのなら、「新憲法の制定」はあってもよい。ただし、それが実質的に革命やクーデターに匹敵する行為だということを自覚的に認識したうえで、いま、そのような革命やクーデターが必要な状況にあるのかどうかを十分に考え抜いたうえでの決定でなければならない。それだけの重大事項だということを国民各自が十分自覚したうえで、国民の大多数が「新憲法」を必要とすると考えるのなら、そのときは堂々と「新憲法」を制定すればいいし、そのための手続きも、そのときに、最適なものを考え出せばよい。



 

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