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浦部法穂の「大人のための憲法理論入門」

 

第6回 「ヘイト・スピーチ」も「言論の自由」?


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2015年3月5日

 在日韓国・朝鮮人に対するいわゆる「ヘイト・スピーチ」が、大きな社会問題になっている。これなどは、前回述べた私人による「人権侵害」の最たるものである。だから、こうした「ヘイト・スピーチ」を非難し、その法規制を求める声が国民の側から上がってくるのは、健全な「人権感覚」だといえる。しかし、一方、「言論の自由」の観点から、法規制ということには慎重な意見を抱く国民も少なくないし、政治権力の側からは、「ヘイト・スピーチ」は許されないと言いながらも、「言論の自由」を理由に法規制には消極的な声が聞こえてくる。

 「言論の自由」の観点から法規制に慎重な意見を抱く国民も、その「人権感覚」はやはり健全なものだといえる。公権力による「人権侵害」のほうをより警戒しているという意味では、むしろ、こちらのほうが「王道」を行くものだといえるかもしれない。法律家・憲法学者に、どちらかといえば慎重派のほうが多いのは、その故である。だが、ここで留意されなければならない点は、いわゆる「ヘイト・スピーチ」それ自体が「言論の自由」として保護されるべきものであるわけではない、ということである。「○○人を叩き出せ!」とか「ぶっ殺せ!」などと叫んで集団で練り歩くような行為が「自由」に許されてよいわけがない。だから、そういう行為を規制することには憲法上なんの問題もない。それどころか、その攻撃対象とされた人々の人権擁護のために、規制すべきである。だから、「ヘイト・スピーチ」に対する法規制に慎重な意見が、「ヘイト・スピーチ」それ自体も「言論の自由」として保護されるべきところがあるという趣旨で言われているのだとしたら、それは人権論として正当なものとはいえない。

 フランス人権宣言第4条にあるように、「自由」とは「他人を害しないすべてをなしうること」である。他人を害するような行為は、もはや「自由」ではないのである。だから、「ヘイト・スピーチ」を行う「自由」など、どこにもない。にもかかわらず、「ヘイト・スピーチ」に対する法規制に慎重な意見が法律家や憲法学者に少なくないのは、権力側が国民の側からの規制要求を奇貨として「ヘイト・スピーチ」だけにとどまらない広範な規制をかけてきたり、その法規制を乱用して権力にとって都合の悪い言論を規制するために利用したり、といったことを危惧するからである。実際、現在の政権・与党筋からは、「だったら、国会周辺で『反原発』などと叫ぶ集会やデモも規制対象にすべきだ」などといった発言が、臆面もなく飛び出している。また、立法技術的にみても、「ヘイト・スピーチ」の定義を過不足なく法律に書き込むことは、きわめて難しい。とすると、法律の執行段階で権力側が自分たちに都合の悪い言論を封じ込めるためにその法律を乱用するという危険性は、必ずつきまとうことになる。

 「言論の自由」の観点から「ヘイト・スピーチ」に対する法規制は慎重に考えるべきだとする意見は、こういう、権力による乱用の危険性を意識するからである。決して、「ヘイト・スピーチ」も「言論の自由」に含まれるから、ということではない。このことは、「ヘイト・スピーチ」と「言論の自由」の問題を考える際には、明確に自覚しておかなければならない。そう考えると、権力の側が「ヘイト・スピーチ」に対する法規制に消極的な理由として「言論の自由」を持ち出すのは筋が違うということになろう。「日本の政治権力者は、これを奇貨として広範な言論規制をする危険がある」と、権力者自身が言っているようなものだからである。もちろん、実際のところは、法規制に消極的な日本の政治権力者たちが、こんな謙虚な(?)気持ちで「言論の自由」云々を言っているはずはない。「言論の自由」を持ち出すのは、「ヘイト・スピーチ」を規制したくない、あるいは規制しないほうが都合が良いと、彼らが考えているからである。権力の側が言う「言論の自由」は、たんなる「言い逃れ」である。政府を批判したり政府の政策に反対するビラを配っただけで、住居侵入だ、道交法違反だ、公務員法違反だなどと理由を付けて「言論の自由」を規制している日本政府に対し、国連の人権委員会は、再三にわたり、こうした「言論の自由」への不合理な制限をやめるよう勧告している。そんな政府が「言論の自由」を理由に規制を渋っているのだから、その「本音」は容易に透けてみえる。

 だから、こんな政府に「ヘイト・スピーチ」に対する法規制をいくら求めても、実効性のあるものにはならないか、あるいは政府に都合の悪い言論を規制する道具にも使える広範な規制をかけてくるか、そのどちらかであろう。では、「ヘイト・スピーチ」のような私人による人権侵害行為から人々の人権を守るためには、どうしたらよいのか?それは、最終的には、国民が、私人による人権侵害も権力による人権侵害もどちらも許さないという、しっかりした人権意識を持つことに尽きるといえるが、制度論的には、私人による人権侵害行為があったときに、それを調査し実効的な救済措置をとることができる、政府から独立した人権救済機関の設置が不可欠だと思う。

 1993年の国連総会で決議された「国内人権機関の地位に関する原則」(いわゆる「パリ原則」)は、各国内で設置されるべき人権機関について、権限や活動、任免手続き、財政など、あらゆる面での政府からの独立性を確保し、「構成員の任命は、人権にかかわる社会集団の多元的な代表を確保できる手続により行われること」などを求めている。このような国内人権機関の設置について、日本政府はこれまで、やはり国連人権委員会の再三の勧告にもかかわらず、消極的な態度をとり続けてきた。2002年に政府が国会に提出した「人権擁護法案」も2012年の「人権委員会設置法案」も(いずれも廃案)、人権委員会を法務省に置くものとし、政府からの独立性をまったく欠くものとなっていた。政府任せにしていたら、出てくるものはせいぜいこんなものである。「国家による自由」を求めるには、もっともっと、国民が賢くそして強くならなければならないだろう。



 

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