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浦部法穂の「大人のための憲法理論入門」

 

第9回 「集団的自衛権」は「自衛」ではない!


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2015年6月1日

 このシリーズは、なるべく体系的な順序を追って書いていこうと思ったが、「国のかたち」を「戦争できる国」に変えようとする「戦争法案」の国会審議が始まったので、それにかかわる問題のほうに少し寄り道することにした。その中で、理論的にきちんと整理しておく必要がある一番の問題が、「集団的自衛権」ではないかと思う。結論から先に言えば、いわゆる「集団的自衛権」は、「自衛権」という言葉が使われているものの、じつは「自衛」ではなく「他衛」なのである。いわゆる「集団的自衛権」と言われているものの本質は他国防衛にあるのであって、自国を守るという意味での「自衛」ではないのである。そこのところをきちんと切り分けた議論が、政治の場ではもちろん、マスコミでも、学会においてすら、どうもほとんどなされていないように思われる。

 一般に、「集団的自衛権」とは、自国と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けたときに、自国は直接武力攻撃を受けていなくても、攻撃を受けた当該他国と共同して防衛行動をとる権利、などと言われる。自国が武力攻撃されたときにそれに反撃して武力行使するのが「個別的自衛権」で、自国は攻撃を受けていなくても同盟国が攻撃を受けたときにその国と一緒に反撃するのが「集団的自衛権」だ、というわけである。だから、「集団的自衛権」を行使して守る対象は、自分の国ではなく、攻撃を受けた他国である。だとすれば、それは本来「自衛」とは言えないはずのものである。たとえば、アメリカが攻撃されたときに、アメリカを守るために日本がアメリカと一緒になって武力行使する。それは、アメリカを守るためであって、日本にとっては「自衛」ではない。にもかかわらず、それが「自衛権」という言葉で語られることによって、人々に、自分の国を守るためのものなのだと錯覚させてしまうことになっているのではないかと思う。

 「集団的自衛権」というのは、国連憲章51条ではじめて認められたものだといわれる。国連憲章51条は、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利(the inherent right of individual or collective self-defense)を害するものではない。」と規定する。ここでいう「集団的自衛(collective self-defense)」とは、言葉の本来の意味からいえば、武力攻撃を受けた国が自分だけで反撃するのでなく、同盟国に助けを求めて同盟国と共同で反撃することを言っていると解される。それは、攻撃を受けた国にすればまさに「自衛」である。「自衛」の手段として、自国だけで戦うのではなく、他の同盟国にも助けを求めて戦う。それが、国連憲章51条のいう「集団的自衛」ということの本来の意味だとみるべきであろう。この場合、攻撃を受けた国に加勢して戦う国は、みずからは攻撃を受けていないのだから、その国にとっては「自衛」ではない。けれども、攻撃を受けた国の「自衛」を助けるためだから、そのかぎりで攻撃を受けていない国による武力行使も違法ではないとされる。これが国連憲章51条の本来の意味だと、私は思う。しかし、実際には、「集団的自衛権」という言葉は、「直接攻撃を受けていない国が、攻撃を受けた国を助けるために、武力行使できる権利」というように、「自衛」という側面に重きを置かずに「武力行使できる権利」ということに重点を置いて語られてきた。国連憲章51条にいう「個別的又は集団的自衛の固有の権利」は、武力攻撃を受けた国の権利として認められているはずのものだったのに、いつの間にか、「集団的自衛」の部分が一人歩きして、「自身は武力攻撃を受けていなくても武力攻撃を受けた同盟国を守るために武力行使できる権利」という意味で「集団的自衛権」というものが語られるようになったのである。しかし、武力攻撃を受けていない国の「武力行使権」を、「国家の固有の権利」だとするのは、相当に無理があるのではないのか。

 いわゆるニカラグア事件は、1979年にニカラグアに親社会主義的な革命政権が成立したことで反ニカラグア政策に転換したアメリカが、1981年に、ニカラグア政府によるホンジュラス等隣国の反政府勢力への武器等の援助を理由に、ニカラグアの港湾への機雷敷設や空港などへの爆撃を行ったことに対し、ニカラグアがアメリカの行為は国際法違反だとして国際司法裁判所に提訴した事件である。これに対し、アメリカは、みずからの武力行使を、ニカラグアによるホンジュラス等隣国への武力攻撃に対する集団的自衛権の行使である、と主張した。この事件の判決(1986年)で、国際司法裁判所は、「集団的自衛権」行使の要件として、とくに、武力攻撃を直接受けた国による武力攻撃を受けた旨の宣言と他国への援助の要請の2点が必要だ、とした。そして、本件の場合には、この両者とも存在しなかったしニカラグアの隣国に対する行為を武力攻撃と認定することもできない、として、集団的自衛権の行使だとするアメリカの主張を退けた。ここで、国際司法裁判所が、武力攻撃の直接の被害国による武力攻撃を受けた旨の宣言と援助要請を要件としてあげたのは、「自衛権」の主体はあくまでも武力攻撃の直接の被害国だということを前提にしているからであり、「集団的自衛権」の本来的意味、つまり「自衛」という側面を重視したものだとみることができよう。一方、アメリカの主張は、「自衛」という観点からではなく、「武力行使権」として「集団的自衛権」をとらえているといえる。しかし、そのような「集団的自衛権」は、このニカラグア事件の事例が示すとおり、「自衛」とはまったく無縁のものであるばかりでなく、大国が自分の意に沿わない国やその政府を武力でもって潰すための口実として役立つだけである。実際、この事例だけでなく、ハンガリー動乱(1956年)や「プラハの春」(1968年)への旧ソ連の軍事介入、ベトナム戦争(1965〜75年)でのアメリカの軍事行動など、いずれも「集団的自衛権」が口実とされていた。

 日本で安倍政権が行使できるようにしようとしている「集団的自衛権」とは、こういうものである。「自衛」というその本来的意味はほとんど無視され、もっぱら武力行使を正当化するための口実でしかなくなっているのである。それなのに、「自衛権」という言葉によって、「国民の生命と幸せな暮らしを守るために必要だ」などと国民を欺こうとしているのである。もう一度くり返すが、いわゆる「集団的自衛権」、すなわち、「武力攻撃の直接の被害国ではない国の武力行使権」という意味での「集団的自衛権」は、「自衛」とは無縁のものであり、したがって、かりに「自衛権」は国家の固有の権利だとする立場に立ったとしても、そのような意味での「集団的自衛権」を国家の固有の権利とすることはできないはずである。



 

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