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浦部法穂の「憲法雑記帳」

 

第2回 「国民投票」の衝撃


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2016年7月4日

 6月23日に行われたイギリスの「EU離脱」国民投票は、51.9% 対48.1% という僅差で「離脱派」が勝利し、イギリスの「EU離脱」が事実上決まった。この「国民投票」の結果は、世界中に大きな衝撃を与えた。世界経済への影響だけにとどまらず、下手をすればEUという枠組じたいを崩壊させかねない恐れもある。そしてまた、「残留派」が6割以上を占めたスコットランドでは、イギリスからの独立の動きが再度頭をもたげてきており、同様に「残留派」が56%を占めた北アイルランドでも、イギリスから離れてアイルランドとの統合を求める声があがっているといわれるなど、イギリス(連合王国)じたいが分裂する危険性さえ、必ずしも現実味のない話ではなくなってきている。

 このイギリス「国民投票」の衝撃をうけて、「国民投票」という決定方法がそもそもいいのかどうか、という議論が活発になっている。面白いことに、これに関して日本の政権筋から聞こえてくる話と、中国から聞こえてくる話が、きわめて似通っているのである。イギリスが国民投票でEU離脱を決めたことに対して、日本の閣僚からは、国民投票がポピュリズムに陥る危険性を指摘する声が相次いだ、と報じられた。一方、中国国営新華社通信は、《国民投票という民主的な方法はポピュリズムやナショナリズムや極右の影響から逃れることができない》旨の論評を発表したという。選挙が近づくと不都合なことはいっさい隠して大衆受けのすることばかりをがなり立て、選挙が終われば数の力でやりたい放題、そして政権に批判的な言論にはあれやこれやの圧力をかけて萎縮させ封じ込む。そんな安倍政権の面々が「ポピュリズム」云々を言うのは、「ちゃんちゃらおかしい」というべきだが、要するに、「国民投票」というような形で国民を直接政治にかかわらせたら、ろくなことにならない、と言いたいのだろう。本音のところでは、「民主主義」を快く思っていないということなのだ。その点においては、安倍政権と中国指導部は、どうも同じような体質を持っていそうである。

 民主主義とは、いうまでもなく、「民意」にもとづく政治である。とすれば、すべての国民に賛否を問うて決める「国民投票」は、民主主義の「王道」だということになりそうである。たしかに、重要な問題について国民投票や住民投票を求める動きが国民のあいだから出てくることは、民主主義の健全な発展であるといえる。そういう観点からいえば、国民投票などのいわゆる直接民主主義的制度はどんどん拡大されるべきだ、ということになろう。だがしかし、ことはそう単純な話ではない。歴史をひもといてみれば、「皇帝ナポレオン」も「総統ヒトラー」も、まさに「国民投票」によってその独裁権力の正統性を獲得したのであり、いわば民主主義の結果として民主主義が滅ぼされるということが、歴史上現実にあったのである。だから、何でもかんでも「国民投票万歳!」で済む話ではないのである。

 国民投票が「ポピュリズムに陥る危険性」を持っているというのは、その意味で、一面の真理ではある。だが、それは、国民投票に限ったことではない。選挙もまた、同じである。マスコミで名前が売れれば、政治家としての資質や力量がどうであれ、当選まちがいなし。あるいは、選挙のときには、みんなが喜びそうなことだけを言って、票にならないようなことや票が離れそうなことは、それがどんなに重要なことであってもいっさい口にせず、ひたすら隠し通す。いまの選挙は、そんなことの繰り返しである。それをポピュリズムと言わずして何であろう。そういう選挙で当選してきた連中が「国民投票はポピュリズムに……」などと言うのは、先ほども言ったように、笑止千万というしかない。国民投票であれ選挙であれ、要するに民主主義というものはそういう「危険性」とつねに隣り合わせにあるのである。

 ただし、国民投票などの場合には、特定の争点について国民意思が直接的に表明されることになるだけに、その結果に反対することは、きわめて難しいこととなる。まさに「民意」にもとづく決定であるわけだから、その「民意」を凌駕するほどの、よほど強い正当化事由がないかぎり、国民投票の結果を覆すのは困難である。それだけに、国民投票や住民投票という直接民主主義的方法に訴える場合には、その「結果」を的確に見通すことが必要となる。逆に、権力の側から国民投票などの直接民主主義的な手法を仕掛けてくるときは、「民意」という「錦の御旗」のもとに反対派を押さえ込もうという意図が秘められていることを見抜かなければならない。国民投票などといった方法は、そういうように利用されることも多々あるのであって、その点からも、直接民主主義のほうがより民主的だ、と手放しで評価することはできないのである(今回のイギリスの例のように、それが裏目に出て、政権側の意図とは逆の結果になることもありうるにせよ。もっとも、私は、「EU離脱」というイギリス国民の選択が正しい選択だったとは思わないが)。

 以上のことは、しかし、代表民主制との決定的な差異というよりも程度問題であろう。代表民主制による決定の場合にも、多数派=政権側が選挙で示された「民意」を盾に反対派を問答無用に押さえ込むことは、よくみられることだから。いずれにしても、国民投票も選挙も、そういう危険性をつねに内包しているのであり、要は国民がどこまで賢くこれらの制度を使いこなせるかにかかっているのである。そのためには、まず第一に、すべての意見・情報が国民の前に明らかにされている必要がある。言論の自由と情報公開、これが民主主義のための最低条件なのである。「ポピュリズムに陥る危険性」を避けたいと本気で思っているのなら、情報隠しや反対論封じは絶対してはいけないことだと心得るべきである。私たちがまず求めるべきは、この点である。



 

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