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浦部法穂の「憲法雑記帳」

 

第5回 天皇が「象徴」であるということの意味


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2016年10月11日

 先日、天皇が「生前退位」の意向を示したことで、天皇が「象徴」であるということの意味が、あらためて議論の的となっている。ここでは、先日の天皇の意向表明とは直接には切り離して、「象徴」ということの意味を憲法解釈論としてどうとらえるべきかを考えてみることとする。

 憲法上、天皇は日本国と日本国民統合の「象徴」ということになっているが、「象徴」という概念は、法的概念として確立されているものではない。もともと、「象徴」という言葉は、たとえば鳩が平和の象徴であると言う場合のように、形のない抽象的な概念をなにか形のあるものに託して表そうというときに用いられる言葉である。そして、「象徴」関係においては、象徴されるものと象徴するものとの間には、同一性も必然的なつながりもない。たとえば、鳩が豆を取り合って争っていても、「平和の象徴」なのである。結局、あるものが何かの象徴であるというのは、あるもの(たとえば鳩)を見てそれ(たとえば平和)を思ったり感じたりするかどうかという、人々の感覚の問題であって、論理必然的にそうだというものではないのである。

 だから、天皇が日本国と日本国民統合の「象徴」であるという場合にも、それは「天皇=日本国」を意味するわけではないし、天皇が国民統合を体現するということを意味するわけでもない。要は、人々の感覚の問題として、天皇という存在によって日本という国や国民統合を感じ取れるかどうか、である。そしてそれは、感覚の問題である以上、人それぞれであり、それぞれの人の心の中の問題である。したがって、憲法で天皇を「象徴」と定めても、だから天皇はこうあるべきだ、というような規範的(法的)な意味が、そこから直ちに導かれるわけではない。つまり、憲法1条の「象徴」規定は、それ自体なんら法的な意味をもつものではなく、そこからはどのような法的効果も導き出しえない、ということである。

 とすれば、天皇が象徴であるということの法的な意味は、憲法の他の明文規定から帰納的に確定する以外に方法がない。憲法上、天皇は、「国政に関する権能」を持たず、内閣の「助言と承認」にもとづいて憲法の定める「国事行為のみ」を行うものとされている(3条、4条)。それ以外には天皇の行為や権能に関する定めはないから、これが、天皇が「象徴」であるということの法的な意味だということになる。つまり、「国政に関する権能」を持たず、内閣の「助言と承認」にもとづいて憲法所定の「国事行為」だけを行うのが「象徴」としての天皇なのである。憲法の明文規定から帰納的に確定される「象徴」の法的な意味は、これだけである。

 要するに、「国事行為」を行う天皇が「象徴」なのであって、それ以外に天皇が「象徴」としてなすべき行為はない。憲法が、わざわざ国事行為「のみ」を行う、と断っているのであるから、そう解するしかないのである。これが、「象徴天皇」の憲法解釈論的意味である。したがって、「国事行為」以外の「象徴としての行為」なるものは、憲法の想定するところではない。

 論理的には、こうなるはずである。しかし、こと天皇条項に関しては、論理的に当然のことが当然には通用してこなかった。それは、日本国憲法のもとにおいて、旧憲法下の天皇とは全然性格が違っているにもかかわらず同じ「天皇」という名称を用い、かつ、同じ人物がその地位についたためであった。このことから、旧憲法下の天皇像が、意識的にせよ無意識的にせよ、日本国憲法の天皇条項の解釈に流入されることとなったのである。つまり、旧憲法下の天皇は「統治権の総覧者」であると同時に「象徴」でもあったとし、日本国憲法の「象徴」規定は、従来天皇が持っていた二つの側面のうち「統治権の総覧者」としての側面を排除したものだ、とみるのである。こういう見方に立つと、天皇が「象徴」であるということの意味は、憲法の明文規定のうちにではなく、従来の天皇が持っていた「象徴」性のなかに見出されることとなり、「伝統」や「慣行」が持ちだされることによって、「象徴」規定自体に独自の意味が持たされることになる。こうして、天皇の「権威」や「権限」が、戦後「昭和」の時代をつうじて、憲法の枠を超えてどんどん拡大されてきたのである。

 しかし、旧憲法下の天皇が「象徴」でもあったというのが学問的認識として正しいかどうかということ自体にも疑問があるが、かりにそうであったとしても、旧憲法下のその「象徴」性は統治権と一体となって「神勅」に基礎づけられたものであり、「国民の総意」に基づく「象徴天皇」の「象徴」性とは無関係のもののはずである。そのことをいちばん意識しているのが、じつは今の天皇ではないかと思う。もちろん、生まれながらに「天皇」となるべき「宿命」を背負ってきた人であるから、当然その枠を超えるものではなく、「伝統的存在」としての「天皇」像から完全に解放されたものでないことは、いうまでもないのだが。



 

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