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浦部法穂の「憲法雑記帳」

 

第13回 天皇退位特例法


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2017年6月27日

 天皇退位特例法が成立した(6月9日)。これに関連して、「女性宮家創設」の可否や「女性・女系天皇」を認めるべきか否か、といった議論がなされている。国民世論の「風向き」としては、「天皇陛下もご高齢になられて大変だろうから、退位を認めるべきだ」、「現状このままでは、今後皇族の数はどんどん減っていく可能性が高く、『公務』の遂行にも支障を来すことになりかねないから、女性の皇族が結婚後も皇族としてとどまれるよう『女性宮家』を創設すべきだ」、「女性天皇を認めることに何の支障もないはずで、むしろ認めないほうがおかしいだろう」、といったところではないかと思う。ところが、こういう「風向き」に異を唱え、「退位」にも「女性宮家」にも「女性天皇・女系天皇」にも反対する声が、ほかならぬ「右翼」の連中からわき上がっている。その中心的人物が安倍晋三であるが、首相という立場上露骨に反対とは言えないので、姑息なやり方でなんとか「風向き」を変えるか「風」そのものを止めようとしている。その法制度的表現が、「特例法」という形での退位承認であった。天皇は、自分だけの特別扱いを望んで「生前退位」の意向を漏らしたわけではない。そのことは、誰にもわかっていたはずだ。それでも安倍内閣は「特例法」にこだわり、それを押し通した。もちろん、憲法論的には、天皇がこう言ったからそのとおりの法律を作るなどということは、天皇に「国政に関する権能」を持たせることになるから、許されない。しかし、彼ら「右翼」の連中にとって、天皇は憲法以前の「歴史と伝統」に基づく絶対的存在ではなかったのか? ならば、これまでしてきたように憲法なんかにかまわず、天皇の「お気持ち」を最大限「忖度」して、気持ちよく退位していただくことのほうを大事にすべきではなかったのか? 「天皇を戴く国家」(自民党改憲案前文)の首相として、天皇の明確な意思を否定するような法律を作るのは「逆賊」的行為ではないのか? あまつさえ、仲間の連中からは《天皇はただ祈っていればいいのだ。余計な『公務』を勝手に作っておいて、それができなくなったから退位したいなどというのは筋が通らない》などという「不敬」な言葉さえ吹き出す始末である。一体全体、安倍晋三をはじめとする「右翼」の連中は、本当に天皇を尊崇・畏敬しているのだろうか。

 その答えが、この間の議論ではっきりした。彼らは、決して、天皇その人を、崇拝も畏敬も、尊敬すらもしていないのである。だから、天皇が彼らの意に反することをしたり言ったりしたときには、彼らは、日頃の「天皇崇拝」的言動にもかかわらず、上記のような「不敬」な発言や行いを平気でできるのである。彼らが天皇を尊崇・畏敬すべき存在であるかのように言い振る舞うのは、天皇がそういう存在であるということを民心に刷りこむためであって、それ以上のものではない。国民のあいだに天皇に対する尊崇・畏敬の念が深まれば深まるほど、その心情に便乗して、天皇の「カリスマ的権威」を利用することで、思い通りの権力支配が容易になる。彼らにとって、天皇はそういう存在でなければならないのである。だからこそ、彼らは、旧憲法体制下の天皇の「神性」を「わが国固有の歴史・伝統」だとして強調するわけである。天皇は、下々の民が「おそれ多くも畏くも」と崇め奉る存在でなければならないのである。天皇が「民」と同じ床にひざまずいて親しく言葉を交わすなどということは、天皇の「カリスマ的権威」を減殺する行いであって、もってのほかであり、だから「余計な『公務』なんかする必要はない、祈っているだけでいい」という話になるわけである。

 私は、安倍「改憲」の狙いは旧憲法体制への「回帰」だ、ということを、折に触れて再三指摘してきた。だが、それは、文字どおりの「回帰」ではない。文字どおりの「回帰」を目指すなら、今一度の「大政奉還」をすべきだが、そんな動きは安倍周辺にまったくない。天皇の「政治的権能」を否定したままでの「回帰」なのである。それなら「旧憲法体制への回帰」とは言えないんじゃないか、と思われるかもしれないが、旧憲法下の天皇の政治的権能はすべて内閣総理大臣が握り、天皇は神棚に奉っておくだけにする、という形での「回帰」なのである。天皇は政治的に無権能としつつ、その「カリスマ的権威」は旧憲法体制と同様な程度まで強調し、それを尊崇・畏敬する国民の心情を利用して支配の強化を図ろう、というのである。2012年発表の自民党「改憲案」が、その前文冒頭で「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」と言い、第1条では象徴たる天皇を「日本国の元首」と位置づけ、第6条5項に天皇が国事行為以外に「国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う」との規定を新たに設け、第20条3項の「政教分離」規定では、「ただし書」で、「国及び地方公共団体その他の公共団体」の「宗教的活動」も「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」であれば認められるとしたのは、すべて、旧憲法体制下の「神権天皇制」的な要素を取り込んで天皇の「カリスマ的権威」をより高め、支配の強化のために利用しようとするものだ、といえる。

 ともあれ、天皇の退位をめぐる議論が、安倍晋三をはじめとする「右翼」の連中の「本音」をあぶり出したことは、おもしろい。それはまた、「女性・女系天皇」をめぐる議論においてもみられるが、これについては次の機会に。



 

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