2023年 新年にあたって ~今こそ果たされるべき司法の責務~
伊藤 真(法学館憲法研究所所長)
みなさん新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年2月24日に起こったロシアによるウクライナへの一方的な武力侵攻は、世界の安全保障体制のみならず、わが国の安全保障のあり方に対しても重大な問いかけとなるものでした。ウクライナでは、民間人の犠牲は日々拡大し続け、たとえ生き残ったとしても街やライフラインの破壊により、冬季にも関わらず住民の多くが困窮した生活を強いられている状況です。さらに、北朝鮮によるミサイル実験が多数回行われ、中国では台湾併合に強い意欲を見せる習近平国家主席の続投などから、国内の世論調査では、防衛費増額を容認する声が過半数を占めるようになり、安全保障の見直しが急速に進みました。
これらの世論を追い風に、有識者会議からは、国防費のGDP比2%への増額、敵基地攻撃能力の保有が提言され、昨年末には国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の安全保障三文書が閣議決定されています。これは専守防衛を堅持してきた日本の安全保障政策の大きな転換となるのみならず、憲法9条に違反するものと考えます。こうした危機的状況であるにもかかわらず、軍事力への過度の依存が、政府のみならず国民の意識の中にも蔓延するようになりました。
さらに、一部の政治家からは、防衛力増強のための9条改憲が唱えられています。昨年の7月に行われた参院選では、衆院選に引き続き、憲法改正に前向きな政治家、政党のいわゆる改憲勢力が憲法改正発議に必要な3分の2以上を占めるにいたっており、国民の意識の変化を背景に改憲に向けて具体的に動き出す可能性があります。
このような状況の下、私が代理人として参加してきた「安保法制違憲訴訟」のほか、国会の行政監視機能回復を求める「憲法 53条違憲国家賠償請求訴訟」、市民が国政へ意見表明するために必要な表現の自由が問われている「助成金不交付決定取消訴訟」、そして投票価値是正により国家ガバナンスの回復を求める「選挙無効請求訴訟」。これら憲法訴訟の意義はますます高まっていると感じています。選挙無効訴訟以外の訴訟の多くは、控訴審判決まで進み、さまざまな学者、専門家による意見書の提出や証人陳述が行われるなど、新たな展開も生まれてきました。そこで、現在までの判決をふりかえりつつ、これらの意見書や証人陳述をもとに今年の展望を述べたいと思います。
1 安保法制違憲訴訟
⑴ これまでの判決内容と訴訟の状況
安保法制違憲訴訟は、2016年に提訴されて以降、わずか2年の間に全国に広がり、22の地方裁判所で25の裁判が提訴されました。原告となった国民・市民、意見書の執筆や証人を引き受けてくださった学者、ジャーナリストそして全国の弁護士、さらには支援者が一丸となって、この訴訟が進められてきましたが、残念ながらこれまで23の地方裁判所と4つの高等裁判所で原告が全て敗訴することとなりました。
これまでの判決は、新安保法制法の違憲性には一切触れず憲法判断を避けるものばかりです。本来ならば、原告らの権利侵害の有無を認定するためには加害行為である立法行為の違憲性を判断しなければならないにもかかわらず、権利性や権利侵害性を否定することのみで請求を棄却し、また、原告らの被害を「多数決原理を基礎とする代表民主制」の下における政治的信条の問題にすぎないとして矮小化して、社会的に受忍すべきものとしてしまっています。事実認定を歪める形であえて憲法判断を避けようとした裁判所の姿勢は、人権保障と憲法保障の担い手としての職責を放棄するもので許されません。
有識者や学者も一様に、新安保法制法の違憲性を指摘し、司法による違憲判断が必要であることを以下のように述べています。
⑵ 新安保法制法及びその執行行為の明白な違憲性・違法性
元内閣法制局長官である宮﨑礼壹氏は、新安保法制法が憲法9条1項及び2項に違反してその違憲性が明白であり、「日本という国家が戦後ずっと国家の実践として、集団的自衛権は違憲だということを表明し、その道を歩んできたということにほかならない」ことを明確に証言されました。元内閣法制局長官自ら、違憲であると証言していることを、裁判所は厳粛に受け止める必要があります。
石川健治東京大学教授は、その意見書の中で、「閣議決定による解釈変更により、憲法9条が選択した安全保障政策の枠組みを完全に破壊して、同盟政策へ完全に移行するという選択は、96条の改正対象としての9条の法内容として、そもそも許容され得る解釈ではないどころか、9条それ自体の法本質的限界(論理的限界)をも、超える行為であり、法の変更ルールの一種としての憲法改正ルールを、国家機関としての内閣が上から破壊したことになることから、法学的意味におけるクーデターにあたる」と厳しく指摘しています。
⑶ 法的保護利益の侵害を認めないとの原審判断
この点に関して長谷部恭男早稲田大学教授は、その意見書の中で、原審判決の誤りを次のように論じています。
「違憲性の明白な集団的自衛権行使およびそれに対する他国の対応により、きわめて多くの国民の生命・身体に対して回復困難で、かつ、計り知れない損害が加えられることが必至となる状況に立ち至るまで、裁判所が国の行為の違法性について判断を控えるべきだとすることは、司法権の行使を放棄するに等しく、国民の裁判を受ける権利をないがしろにするものである。」
「自衛権発動の基準が曖昧化したために、控訴人らを含む国民の権利侵害に関する具体的危険性発生の判断自体が困難となっており、本件各行為によってもたらされた憲法9条をめぐるこうした不確実性を考慮するならば、具体的危険性の発生の有無にこだるべき理由はない。予防=事前配慮原則に即して、具体的危険性の発生を待つことなく、出発点となる発動基準の違憲性を正面から問題とし、平和安全法制のうち当該発動基準を取り込んでいる部分の違憲性を指摘することで、数多くの国民の生命・財産が深刻な危険にさらされるリクを根源から除去し、政治権力の恣意的な運用を阻止するという最低限の意味での立憲主義を回復することが、司法に求められる。」
以上の指摘から、司法の役割として数多くの国民の生命・財産が深刻な危険にさらされるリスクから事前に国民を守るべきという視点から見るとき、現に他国から武力攻撃を受けておらず生命・身体の危険はないため法的保護利益を認めないという原審の判断基準が誤りであることは明らかです。
また、石川健治教授の意見書においても、「およそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請がある以上、いったん損なわれると取り返しがつかない法益である場合には、具体的な権利侵害を待たずに、その不可逆性を理由に予防的な訴訟の途を認めるべきである」として、端的に裁判所の判断の必要性が指摘されています。
⑷ 多数決原理・間接民主制を大義とした憲法軽視
原判決は、多数決原理・間接民主制を理由に、社会通念上受忍すべきものと短絡的に結論付け、憲法判断を回避しています。しかし、立憲主義国家において、多数決原理や間接民主制は憲法の枠の中で機能するもので、新安保法制法のような憲法の枠を破壊するような立法行為の正当性を基礎づけるものではありません。
裁判所には、多数決原理・間接民主制によって正当化し得る事柄には限界があるという憲法の初歩的かつ重大な基本原理に関する原審の誤りを速やかに正す義務があるといえます。
2 憲法53条訴訟
⑴ 訴訟の経緯
2017年、憲法53条に基づき要求された臨時会の召集を当時の安倍内閣が98日間放置したことは憲法違反だとして、2018年に国会議員により岡山、東京、那覇の各地裁に提訴されたのが本件訴訟です。原告からは、臨時会の不召集、召集懈怠に司法審査は及ぶこと、また憲法53条後段は政治的義務ではなく法的義務である以上、98日後の召集は違法であることが主張されています。これに対し、国は、臨時会の召集は、高度に政治的なものである以上、司法審査は及ばない。また憲法53条後段は政治的な責任を負うに過ぎないため、国賠法上の違法にはあたらないと反論しました。
判決は、地裁、控訴審判決あわせて昨年までに6つ出されています。司法審査が及ばないとされた判決はひとつもなく、憲法53条後段が政治的な責任、義務に過ぎないとした判決もありませんでした。一部では憲法上の法的義務であることも明示的に認められています。
しかし、6つの裁判全てが、臨時会召集のための合理的な期間の検討に入ることなく、国賠法上の違法にはあたらないと判断しています。その理由も、内閣が負う義務は、国会に対する義務であって、国会議員一人ひとりに対する義務ではない。損害賠償請求は、国会議員という機関による公益を目的とするものであり、国賠法上保護された利益にあたらない。召集された場合に議員がなし得た活動は仮定的・抽象的な可能性に留まり損害賠償になじまない、などということを理由としており憲法判断が示されることは一切ありませんでした。
⑵ 学者・有識者からの意見
学者や有識者からは、以下のように98日間召集しようとしなかった政府の行為は憲法53条後段の国会の行政監視機能に反し明確に違憲であり、議員の権利が侵害されていることが指摘されています。
a. 元最高裁判事の濱田邦夫氏は、意見書において、53条後段の趣旨について「少数派国会議員からの国会開催要求を認めるもので、臨時会では実質的な審議が行われなければならない」と指摘し、本件国会召集先送りは明白に違憲であると述べられています。
そして、国会議員の臨時会召集要求権についても、「国民の選挙権行使と同様に、国会議員の臨時会召集要求権行使や国会活動における質問権等の諸権限の行使についても、公務としての側面はあるが、国家の政策形成の場面や行政監督の場面などを通じて、自己の政治信条や政策を実現しようとする自己実現を図り、自らの幸福追求権を実現するための主観的権利の側面を強く有している。」と述べられました。
b. 志田陽子武蔵野美術大学教授は、憲法53条の臨時会召集を含む国会議員の職務遂行の権利について、以下のように個人の具体的な経済的・人格的利益を実現する私権の側面を有すると述べています。
「国会の会議に関するルールは、統治の手続きに関する規則であるにとどまらず、国民の主権・参政権・『知る権利』に応えるという側面も有している。国会議員など選挙によって選出される職業に就いている人々は、有権者から信頼に足る言動・活動を行っている人物かどうかを日々見られ、判断されている。主権者ないし有権者の『知る権利』に属することとして、議員は日々の活動の様子を有権者の目に供している。この関係の中で、個々の議員にとっては、有権者から託された質疑等の職責を進んで果たすことが、次期選挙で失職せず同じ職業を継続するために必要なことである。このように、53条後段の権利を含めて議員が活動する権利の内実には、個人としての具体的な経済的利益と人格的利益が含まれており、国会議員の職業遂行の権利は、国民の憲法上の権利の実現に直結する公益的なものである側面と、個人の具体的な経済的・人格的利益を実現する私権の側面とを、同時に併せ持っている。」
c. 長谷部恭男早稲田大学教授は、臨時会を召集するために必要な合理的期間について、以下のように意見を述べられています。
「議員からの召集請求があった以上は、召集のために必要な合理的期間を経た後は、すみやかに召集すべきであるとするのか、学説の一致した見解である」とした上で、「案件の内容審議のための内閣の準備不足を理由に招集をのばすことはできない」。そして本件のように「召集を行った日または召集要求書に指定された期日よりも大幅に遅れて召集が行われた場合は、議員による召集要求は拒否され、憲法53条前段により内閣が職権で召集したものとみるべきであり、本規定の趣旨を没却するものであって、本条に違反している」と厳しく指摘されています。
3 今こそ求められる司法の役割
これまで紹介した安保法制違憲訴訟、53条訴訟、そして助成金訴訟については最高裁に上告されており、年内に審理が開始される予定です。また、選挙無効請求訴訟についても、2021年の衆院選訴訟、昨年の参院選訴訟ともに上告され、年内に最高裁大法廷の判断が示される予定です。これまでの審理で、積み重ねてきた学者や有識者による証言や意見書などの証拠をふまえ、司法による憲法に基づいた判断が期待されます。
米国連邦最高裁のロバーツ長官は、ミネソタ大学ロースクールでの講演(2016年10月16日)において司法の役割について、以下のように述べています。
「私はここで簡単にですが、司法部門が(政治部門と比べ)どのように異なっているか、どのように異なるべきかを強調しておきたいのです。公職に就いておられる方々……は国民の声を代弁して活動しています。……私たちは、国民の声を代弁していません。私たちは、憲法を代弁しています。私たちの役割は非常に明確です。私どもは、合衆国憲法と連邦法を解釈し、政治がその枠内で行われることを保障することです。そのためには、当然ながら、政治部門からの独立が必要です。」
これほど、司法の役割を端的に表現した裁判官の言葉を私は知りません。これが保守派といわれる裁判官から発せられたことに米国の立憲主義国家としての矜持を感じます。
一方、日本においては、憲法が正面から問われている訴訟であるにも関わらず、裁判所が明確な憲法判断を示すことに極めて消極的です。その司法の姿勢がもたらした結果として、2014年7月1日に憲法違反である集団的自衛権行使を閣議決定のみで容認してしまった無法が許されてしまい、現在のような法による歯止めが効かない状態が生まれてしまっているように感じてなりません。こうした非立憲的な政治状況を生み出した一因に裁判所の消極的な態度があることは間違いありません。
世界の立憲主義諸国はどこも裁判所が政治部門から独立して、極めて政治的な問題であっても明確な憲法判断を下しています。日本だけは依然として統治行為論の発想から抜け出せず、政治部門にものを言うことに極めて消極的です。
特に議院内閣制を採用し、国会における多数派政党の党首が内閣総理大臣に指名される日本国憲法の下では、国会による行政権に対する行政監視機能は不十分なものにならざるを得ません。この点を補完するために規定された国会議員の少数派による臨時会召集要求のほとんどは内閣によって無視され続けています。こうした現在の国会の状況に鑑みれば、憲法的観点からの政治部門に対する監視機能は裁判所による違憲審査権に依拠せざるを得ないのです。この点からも裁判所が違憲審査権を行使する必要性は極めて大きく、最高裁判所の責務は重大といえます。
今後も裁判所が憲法判断を避け続けることがあるようであれば、この国は完全に無法国家、非立憲国家に成り下がってしまいます。日本の司法のあり方を世界の立憲民主主義国並にするために、上記で取り上げた憲法訴訟は極めて重要な意味を持っています。訴訟の場は最高裁へと移りますが、今年こそ立憲主義、憲法価値を護るという司法の責務が果たされることを強く期待しています。
◆伊藤真(いとう まこと)のプロフィール
法学館憲法研究所所長。
伊藤塾塾長。弁護士(法学館法律事務所所長)。日弁連憲法問題対策本部副本部長。「一人一票実現国民会議」発起人。「安保法制違憲の会」共同代表。「第53条違憲国賠等訴訟東京弁護団」。「助成金不交付取消訴訟弁護団」。「岡口裁判官弾劾裁判弁護団」。「九条の会」世話人。ドキュメンタリー映画『シリーズ憲法と共に歩む』製作委員会(作品(1)・(2)・(3))代表。
『伊藤真の憲法入門 第6版』(日本評論社)、『中高生のための憲法教室』(岩波書店)、『10代の憲法な毎日』(岩波書店)、『憲法が教えてくれたこと ~ その女子高生の日々が輝きだした理由』(幻冬舎ルネッサンス)、『憲法は誰のもの? ~ 自民党改憲案の検証』(岩波書店)、『やっぱり九条が戦争を止めていた』(毎日新聞社)、『赤ペンチェック 自民党憲法改正草案 増補版』(大月書店)、『伊藤真の日本一やさしい「憲法」の授業』(KADOKAWA)、『9条の挑戦』(大月書店、共著)、『平和憲法の破壊は許さない』(日本評論社、共著)、『安保法制 違憲訴訟』(日本評論社、共編著)など著書多数。