連載 デジタル社会と憲法 第14回「オンライン国会」
石原 佳代子さん(京都大学大学院法学研究科講師)
キーワード:国会、代表制、憲法43条1項
はじめに
オンライン国会の導入の可否をめぐる議論は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて急速に展開された。そこでの論点は、オンライン国会の趣旨、また、その趣旨を踏まえた上でいかなる場面で、いかなる条件の下で、誰に対してどの程度国会へのオンライン出席が認められると考えるのか、オンライン国会と憲法56条1項の「出席」要件との関係、オンライン国会を実施する際の現実のシステムや制度構築のあり方と多岐にわたる※1。本稿では、代表制の観点、すなわち「全国民を代表する選挙された議員」としての国会議員に期待される役割という観点に絞って、オンライン国会がもつ可能性と課題について考察を行うこととする。
代表制の意義と「全国民を代表する選挙された議員」
「全国民を代表する選挙された議員」の持つ意義
日本国憲法においては、国会両院の議員は「全国民を代表する選挙された議員」(憲法43条1項)とされる。この「全国民の代表」とは、議員が国民の一部の代表としてではなく、国民全体の利益の代表として選出されること、また、議員が選出母体から指示や依頼を受けず、自らの良心のみに服し、独立して行動し得る法的地位を有することを意味すると解されてきた。しかし、普通選挙の実現以降、一般の国民から代表者が選出されるという手続的要素が意味を持つようになった結果、議員には事実上選挙民の意思を反映して行動することもまた求められるようになる。ここに、議員は法的には独立した地位にありつつも、事実上有権者から多様な影響力を受けるという状況が生まれる※2。このように一方では議員に独立性を求めるという、議員と選出母体の間の結びつきを切断する要素、他方で議員と有権者が選挙を通じて結びつけられ、議員が有権者の意思を事実上反映するよう求められるという要素が併存することに、一定の「緊張関係」が内包されることは否めない※3。
代表制の意義
そもそも、議員が「代表」としての地位を持つということにはどのような意味があるのか。直接民主制がとられる場合、有権者には秘密投票が保障される以上、彼らは自らの投票の動機を公にする必要はなく、自らの選択について説明をしたり、責任を負ったりすることもない。言い換えれば、有権者は、自らの私利私欲、あるいは無関心を生の形で投票の場に持ち込めるのである。反対に代表制の下での議員は、議会という公開の場で自らの見解を公にし、他の議員と討論のプロセスを経なければならない。その結果、議員は異なる意見を持つ他の議員の声にも耳を傾けつつ、自らの見解を公の批判に耐え得る程度に抑制、洗練させて表示するよう求められるのである※4。
代表制の特性をこのように捉えるならば、議員に対して独立性を求めるという「全国民の代表」の伝統的な趣旨は、未だ代表制の本質を成すものと言える。議員に法的に独立性が確保されていることによって初めて、議員が公開の場で「自らの」意見について他の議員との討論と反論のプロセスを積み重ね、その過程の中で妥協や譲歩を経て全国民の利益に資すると考えられる結論を導き出し、そしてこの結論について有権者に説明する責任を負うという、代表制の仕組みが成り立つのである。
代表制の観点からのオンライン国会
あり得る可能性
このような代表制の趣旨をも踏まえた場合、オンライン国会が発揮し得る可能性と課題は何であろうか。まず、可能性の側としては既に先行研究で繰り返し指摘されるように、疾病や出産等の個人的事情によって物理的な出席が難しい者であっても、国会の場に出席できるということが挙げられる。上述のように、現代の議員に対しては有権者の現実の意思を反映することもまた求められることに鑑みれば、一部の議員が一定の有権者層、とりわけマイノリティーに属する層の有権者と類似性を有していることは、国民の間の多様な利害や意見を国会の場に媒介し、そこで異なる背景を持つ議員との討論を通じて、全国民の利益に資する政策を探求することを促進し得る。また、あくまで原理上、議員は「全国民の代表」であり、議員が特定の有権者団のみの代表であることは認められないとしても、有権者にとって自らと類似性を持つ代表が議員として国会の場で政策決定に関わることは、統治の正統性の感覚を醸成する上で意味がある※5。
もっとも、以下で見るように、代表制の観点からすれば、物理的な議会の場への参集にはやはりオンラインでの参加では汲みつくされ得ない観点があることから、個人的事情に基づくオンライン参加の可能性が探られ得るのは、さもなければ当該議員がおよそ議会活動に関与できないという限定的な場合に限られるべきである。様々な事情を抱える議員であっても物理的に国会の場に参集できるよう条件整備がされることが優先されるべきであり、オンラインで参加できればそれでよいではないか、との主張が安易に認められてはならない。
あり得る課題
オンライン国会の課題としてしばしば指摘されることとして、身体性の喪失が挙げられる。これは、現実に議員同士が互いの表情やしぐさ、全身の動きまで観察可能な状態で時にはヤジを織り交ぜながら討論を行うという状況の中でこそ生まれることもあるという指摘である※6。もっとも、身体性の存在により、意思疎通一般の質が向上するという見解に関しては、疑問もあり得る。感情的な側面や身体感覚は時に勢いで議論の方向性を操作し得るものであり、オンラインでのやり取りにおいてこれが伝わらないことは、議論の冷静さを担保し得る。また、時に威圧的に作用し得る身体の存在、物理的な体の動きを面前にしないことによって、従来であれば躊躇された発言が可能となることもあり得る。リアルな意思疎通のあり方とオンラインでの意思疎通のあり方に違いがあることは否定できないとしても、各々の意思疎通のあり方にはそれぞれに長所、短所があるのであり、リアルな意思疎通のみが国会にふさわしいと述べるには、単に「リアルでしかできない議論がある」ということ以上の理由づけが必要であろう。
もっとも、代表制の観点から見た場合、国会という場に関しては、議員が物理的に参集することに一定の意義があることも否めない。第一に「全国民の代表」の要請が求めるところの、議員の独立性を確保するという観点が挙げられ得る。「全国民の代表」の要請をめぐり、議員と有権者の間に「繋がり」と「切断」の両要素が求められており、その間には一定の緊張関係があることは既に述べたとおりであるが、この両者の関係は、物理的な移動やコミュニケーションツールを用いた人と人との接触がより容易になった現在、議員と有権者間の事実上の「繋がり」の要素の方が強化されやすい方向へと傾いている。その中で、議員を依然として議場というひとところに物理的に閉じ込めることは、議員をその背後にある諸々の影響力から強制的、物理的に引きはがし、その独立した地位を再確認させるという意味で、有権者と議員の間の「切断」の要素を補強し、「全国民の代表」としての議員の独立性を確保するうえで象徴的な意味を有するのではないだろうか。これは、「全ての者が平等・均質な個人であるという建前の下に」作られた半円形の議場と、「登壇者を通じて…政治的公共体の統一的なvoiceが発される」「中央の演台」という「国民代表体が正統性を獲得してゆくための装置」たる議場空間に着目し、そこに議員が集まることの意味合いを指摘する見解からも補強され得るものである※7。
第二に、より実際的な問題としては、国会において野党が果たす役割という問題がある。議院内閣制の下では、与党議員は基本的に内閣を支える存在であり、この内閣・与党を批判する存在として野党の役割が重要となる。議会が今日、独立した個々の議員同士の討論によって公共善を追求するという代表制の理想から現実には離れているとしても、そこでは政党単位で、すなわち、政府・与党に対して野党が政策の意義や課題を問い、代替案を提示し、これに対して応答がされるという形での討論が展開されており、その過程において政府は国民を前に説明責任を果たすよう求められる※8。国会の場において野党は、常に政府提出法案の現実の修正を求めているわけではなく、政府・与党側を批判する姿勢を「見せる」ことで、国民の世論を喚起することもある。野党側はこの過程では時には目を惹くような、物理的な行動を伴う戦術に出ることもあるのであり、この点からすれば議員の物理的な出席には一定の意味がある※9。また、仮に野党側議員が物理的な抵抗手段によらないとしても、国会へのオンライン出席が広く認められ、追及を受けるべき政府・与党側が国会の場に現実に出席していないとすれば、画面越しに行われる野党側議員からの追及の様子は国民の側には空疎なものに見えかねない。もちろん、国会における野党の戦術のあり方はその審議や表決のルールに従って変遷し得るものであり、オンライン国会が実際に導入された場合には、それに対応した抵抗や批判の手段が編み出される可能性もある。そうであるとしても、オンライン審議を広く認めるにあたっては、国会における野党の位置づけ※10といった点も合わせて再検討されるべきである。
※1 これらの論点を網羅的に紹介するものとして、河西孝生「オンライン審議に関する検討課題と衆議院における議論」法律時報95巻5号(2023年)6頁以下、植松健一「オンライン議会」法学教室502号(2022年)41頁以下などを参照。
※2 以上の説明に関し、駒村圭吾「43条1項」長谷部恭男編『注釈日本国憲法(2)』(有斐閣、2020年) 520頁、大石眞『憲法概論Ⅰ 総説・統治機構』(有斐閣、2021年)211-212頁参照。
※3 糠塚康江「《proximité》考 何を概念化するのか」同編『代表制民主主義を再考する 選挙をめぐる三つの問い』(ナカニシヤ出版、2017年)113頁以下参照。
※4 毛利透『民主政の規範理論 憲法パトリオティズムは可能か』(勁草書房、2002年)258-259、266-267頁参照。
※5 参議院における議員定数不均衡問題をめぐる議論において、新井誠は、人口の都市部への集中が続く中で投票価値の平等の要請をおし進めることは、地方の住民から、自らも国家統治の担い手であるとの感覚を奪い、「国民の間での感覚の分断・乖離」を招くことになると危惧する(新井誠「参議院議員選挙区選挙の『一票の較差』判決に関する一考察」法学研究87巻2号(2014年)152頁、木村草太『憲法の創造力』(NHK出版、2013年)66頁も参照。)。この指摘は、固定化された少数派一般に応用され得るだろう。
※6 アナログなコミュニケーションの長所について述べるものとして、河西・前掲※1)9頁、江藤祥平「匿名の権力―感染症と憲法」法律時報92巻9号(2020年)73-74頁、棟居快行「コロナ禍社会における法的諸問題(7) コロナの時代の憲法」判例時報2463号(2021年) 88頁など。
※7 赤坂幸一「憲法問題としてのオンライン国会――研究者側の応答」法律時報95巻5号(2023年)14-15頁。議員がSNS上の議論や批判からも多大な影響を受けることに鑑み、議員が表決に臨む前の一定時間についてはSNSの利用を禁止するといった提案(Florian Kuhlmann, Der Abgeordnete im digitalen Zeitalter, in : Schliesky/Schulz/Gottberg/Kuhlmann, Demokratie im digitalen Zeitalter, 2016, S. 82 f. )も、議員に対する外部からの影響力を断つという側面を持つ。この観点からすれば、国会の場での通信機器の利用といったことについても合わせて考察されるべきかもしれない。
※8 高橋和之『表現の自由』(有斐閣、2022年)432-433頁参照。
※9 同旨の指摘として、植松・前掲※1)44-45頁。そこでは、憲法63条に規定された国務大臣の国会出席義務について、政府が国会に対する説明責任を果たす機会であることから、これをオンラインで代替できるかとの問題提起もされる。
※10 議会のあり方については、国民の要求を議会が法律という形に変換することが重視される変換型議会と、与野党が次の選挙を見据えて争点を明示し、政策の優劣を競うというアリーナ型議会、という捉え方の整理がされることがあるが(邦語文献として、久米郁男ほか『政治学 補訂版』(有斐閣、2011年)197-198頁参照。)、オンライン国会の導入にあたっては、このような議会の位置づけとその中での野党の役割についても整理される必要がある。また、与党議員の存在意義という点からの問題提起として、白井誠『危機の時代と国会―前例主義の呪縛を問う』(信山社、2021年)128-129頁。
◆石原佳代子(いしはら かよこ)さんのプロフィール
京都大学大学院法学研究科(学部兼担)講師。
京都大学法学部卒業。京都大学大学院公共政策教育部公共政策専攻/同法学研究科法政理論専攻博士後期課程修了。博士(法学)。
主な論文に「地域代表としての第二院設計の可能性と限界(一)~(七・完)」(法学論叢にて連載中)がある。