国家と社会の関係をどのようにとらえるか?(1)
浦部法穂の「大人のための憲法理論入門」
近代憲法は、もともと、政治権力の社会への介入を否定し、社会の自律性を確保することを目的としたものであった。ただ、この「社会」という言葉は、こんにちでこそ私たちはあたりまえのように使っているが、日本語のもともとの言葉にはなかったものなのである。それは明治になって作られたいわば造語である。もともとの漢字的な意味では、「社」というのは神社の「社」、つまり神を祭るところなのだが、英語でいうところのsocietyを翻訳するときに「社会」という言葉を造ってあてたのである。言葉がなかったということは、日本人の意識の中にそういう観念がなかったということを意味する。つまり、日本には、英語でいうsociety=「社会」というものが、もともとは存在しなかったということである。そういう意味で、「社会」というものは、日本人にはなかなかとらえにくい概念の一つとなっている。「社会」という概念の意味を理解するためには、英語でいうところのsociety、フランス語でいうsociete、ドイツ語でいうgesellschaft、等々の西欧の言葉が、そもそもどういう意味の言葉なのかということから考えていく必要があると思う。
英語のsocietyという言葉は、元はフランス語のsocieteという概念が英語の中に入ってきて、societeの変形としてsocietyができあがった、ということのようである。フランス語のsocieteはラテン語のsocietasを語源とする。ラテン語のsocietasというのは、仲間とか、共同とか、連合とか、という意味合いの言葉だとされる。また、ドイツ語のgesellschaftのgesellというのは、同じ空間にいる仲間という意味合いである。だから、西欧的観念としてのsociety(=「社会」)というのは、語源的意味からいうと、比較的狭い空間の中での仲間を表すものだったのである。
この概念が幕末・明治に日本に入ってきたときに、当時の日本の知識人たちは、これをどのように訳すか、大いに頭を悩ませたようで、当初はいろいろな訳語があてられてきた。たとえば、初期には「仲間」とか「交際」とかという言葉がsocietyの訳語としてあてられたこともあった。これは、上述したようなsociety等の西欧言語の語源的意味にわりと忠実な訳語だったといえるかもしれない。しかし、西欧のsocietyつまり狭い空間の中での仲間という概念は、17、18世紀の市民革命を通じて変形していた。西欧17、18世紀の啓蒙思想や道徳哲学の思想の中で、従来の狭い空間の中での仲間の集まりというものを、新しく勃興した「市民」というものに拡げて、「市民社会=civil society」という概念が作り出されたのである。そういう「市民社会」なる概念が作り出されたのは、一言でいえば、市民生活への権力的介入を排除するためであった。裏返していえば、「市民社会」という概念自体が、国家権力・政治権力から隔絶された領域、国家権力や政治権力が手を出してはいけない領域の存在を言うために作られた概念だったのである。幕末・明治期に日本に入ってきたsocietyという概念は、civil societyという意味でのsocietyであった。そういうニュアンスを持ったsocietyの訳語として、「仲間」とか「交際」という言葉は必ずしも適切ではない。そのために当時の人々がいろいろ頭を悩ませ、結果、それまでの日本語ではこれを的確に表現できる言葉がないということで、「社会」という言葉があらたに造られ、その訳語にあてられることとなったわけである。
市民社会への政治権力の介入を排除し、「市民社会の自律性」を確保する。これが当時の人々、とりわけ市民革命を遂行したブルジョアジーの基本的な要求であり、そのために近代憲法は作られたのである。各人の人間としての生存は、自律的な市民社会のなかで、各人の自由な活動によって確保されるものだとの考えから、各人の自由な活動に対して国家権力が介入・抑圧するようなことはあってはならない、というわけである。そういう意味で、近代国家は「消極国家」といわれた。つまり、国家が積極的に市民社会の中にしゃしゃり出ることは認められない。国家の役割は、自律的市民社会の秩序を乱す行為を規制し除去するという消極的なものにとどまるべきこととされたのである。
私的自治という概念があるが、これは要するに、社会のなかでの人々のいろいろな活動は基本的に当事者の自律的決定に委ねるべきであり、したがって当事者間でとり決められたことは、どんなことであれ、原則有効とされる、ということを意味する。たとえば、契約は当事者間の合意のみで成立する。そこに国家がなんらかの規制を加えることは許されない。それが私的自治の原則というもので、近代国家の基本的な考え方なのである。
そしてまた、近代的人権が、国家権力による妨害・抑圧・干渉を排除するという意味での自由権を中心に構成されたのも、やはり、根本は、市民社会の自律性を確保するという目的のためであった。人々の社会生活が国家の干渉・介入をうけずに国家とかかわりを持たないところで営まれること、それを確保することこそが近代憲法の一番の目的だったのである。これが近代憲法の原点である。こんにち、かつての「消極国家」はもはや通用せず、逆に「積極国家」といわれるほどに、国家の市民社会への介入の度合いはどんどん強まっている。しかし、にもかかわらず、あるいはそれだからこそ、市民社会の自律性を確保するという近代憲法の原点は忘れられてはならないと思う。次回は、そのあたりを考えてみよう。