「憲法」を自分で考え、作ってみることが流行だった
「私擬憲法」とは、幕末維新から大日本帝国憲法発布に至るまでの、約20年余りの間に表明された憲法私案のこと。当時の知識人の間では私擬憲法を作ることが流行っており、現在までになんと90種以上もの私擬憲法が確認されているそうです。しかし、そのほとんどが“忘れられ”てしまっています。
本書では、“忘れられた”明治の憲法草案の中から6つを取り上げ、起草者の人物像や背景、風土や生業がどのような国家構想に反映されたのかを掘り下げ、それぞれの私擬憲法に映し出された民衆の夢や希望を描き出しています。
本書で取り上げられている私擬憲法
1つ目は、維新から数年の時期に起草され、“男女平等”を唱えた元米沢藩士、宇加地新八の草案。2つ目は、自由民権運動が始まったばかりの頃に、鹿児島に住む「竹下彌平」(筆名)なる人物が新聞に投書した憲法草案。3つ目は、皇帝リコール権や女性天皇の可能性まで唱える極めてラディカルな小田為綱ほかの「憲法草稿評林」。4つ目では、板垣退助の建白書や、戦後GHQ草案のモデルとなったともいわれる植木枝盛の憲法案、人権尊重を中心に据えた千葉卓三郎らの「五日市憲法」など、“忘れられ”ていないが、私擬憲法の時代を考えるにあたり重要なものについて触れた上で、鉱毒事件に立ち向かった田中正造の憲法観を掘り下げます。5つ目は、明治国家体制の中心にあり、教育勅語の起草者の一人でもある元田永孚の極めて保守的な「国憲大綱」。6つ目は「死刑廃止」を盛り込んだ越後商人の憲法草案。
「日本国憲法」より民主的でリベラルな私案に驚かされるとともに、「自らの手で国の指針を作り出すことができるかもしれない」という当時の人々の夢と情熱が伝わってきます。
憲法を自分の頭で一から考えてみる
著者はこれらの草案が忘れられてしまった理由のひとつに、「日本国憲法」を「大日本帝国憲法」の比較でのみ見て、「大日本帝国憲法」以前にさまざまな提案がなされていたことまで遡ろうとしないことを指摘しています。私擬憲法は近代日本の優れた文化遺産、記憶遺産としても、学ぶべきことは少なくないといいます。もっと自由に、より良い社会をめざし、憲法を自分の頭で一から考えてみてもよいのかもしれません。
もくじ
序―民族文化としての「私擬憲法」
1 「選挙権は男女に拘らず」と元米沢藩士は主張した
2 「自由の理」と「自立」を求めた鹿児島からの新聞投書
3 皇帝リコール権にまでおよんだ東北のラディカルな憲法討議
4 鉱毒事件に立ち向かった田中正造は独自の憲法案を構想していたか
5 「教育勅語」起草者の“反動”的な憲法案は受け入れられたのか
6 越後の縮商人は憲法案に「死刑の廃止」を盛りこんだ
結―「憲法」を忘れないために
あとがき
【書籍情報】2022年6月、亜紀書房。著者は畑中章宏(民族学者)。定価は1,980円(本体価格1,800円)。